〘108㌻〙
第1章
1 我らの中に《[*]》成りし事の物語につき、始よりの目擊者にして、[*或は「篤く信ぜられたる事」と譯す。]
2 御言の役者となりたる人々の、我らに傳へし、其のままを、書き列ねんと、手を著けし者あまたある故に、
3 我も凡ての事を最初より詳細に推し尋󠄃ねたれば、
4 テオピロ閣下よ、汝の敎へられたる事の慥なるを悟らせん爲に、これが序を正して書贈るは善き事と思はるるなり。
5 ユダヤの王ヘロデの時、アビヤの組の祭司に、ザカリヤという人あり。その妻はアロンの裔にて名をエリサベツといふ。
6 二人ながら神の前󠄃に正しくして、主の誡命と定規とを、みな缺なく行へり。
7 エリサベツ石女なれば、彼らに子なし、また二人とも年邁みぬ。
8 さてザカリヤその組の順番に當りて、神の前󠄃に祭司の務を行ふとき、
9 祭司の慣例にしたがひて、籤をひき主の聖󠄄所󠄃に入りて、香を燒くこととなりぬ。
10 香を燒くとき民の群みな外にありて祈りゐたり。
11 時に主の使あらはれて、香壇の右に立ちたれば、
12 ザカリヤ之を見て、心騷ぎ懼を生ず。
13 御使いふ『ザカリヤよ懼るな、汝の願は聽かれたり。汝の妻エリサベツ男子を生まん、汝その名をヨハネと名づくべし。
14 なんぢに喜悅と歡樂とあらん、又󠄂おほくの人もその生るるを喜ぶべし。
15 この子、主の前󠄃に大ならん、また葡萄酒と濃き酒とを飮まず、母の胎を出づるや聖󠄄靈にて滿されん。
108㌻
16 また多くのイスラエルの子らを、主なる彼らの神に歸らしめ、
17 且エリヤの靈と能力とをもて、主の前󠄃に徃かん。これ父󠄃の心を子に、戻れる者を義人の聰明に歸らせて、整へたる民を主のために備へんとてなり』
18 ザカリヤ御使にいふ『何に據りてか此の事あるを知らん。我は老人にて、妻もまた年邁みたり』
19 御使こたへて言ふ『われは神の御前󠄃に立つガブリエルなり、汝に語りてこの嘉き音󠄃信を吿げん爲に遣󠄃さる。
20 視よ、時いたらば、必ず成就すべき我が言を信ぜぬに因り、なんぢ物言へずなりて、此らの事の成る日までは語ること能はじ』
21 民はザカリヤを俟ちゐて、其の聖󠄄所󠄃の內に久しく留まるを怪しむ。
22 遂󠄅に出で來りたれど語ること能はねば、彼らその聖󠄄所󠄃の內にて異象を見たることを悟る。ザカリヤは、ただ首にて示すのみ、なほ啞なりき。
23 斯て務の日滿ちたれば、家に歸りぬ。
〘79㌻〙
24 此の後その妻エリサベツ孕りて五月ほど隱れをりて言ふ、
25 『主、わが恥を人の中に雪󠄃がせんとて、我を顧󠄃み給ふときは、斯く爲し給ふなり』
26 その六月めに、御使ガブリエル、ナザレといふガリラヤの町にをる處女のもとに、神より遣󠄃さる。
27 この處女はダビデの家のヨセフといふ人と許嫁せし者にて、其の名をマリヤと云ふ。
28 御使、處女の許にきたりて言ふ『めでたし、惠まるる者よ、主なんぢと偕に在せり《[*]》』[*異本「なんぢば女のうちにて惠まるる者なり」との句を加ふ。]
29 マリヤこの言によりて心いたく騷ぎ、斯る挨拶は如何なる事ぞと思ひ迴らしたるに、
30 御使いふ『マリヤよ、懼るな、汝は神の御前󠄃に惠を得たり。
31 視よ、なんぢ孕りて男子を生まん、其の名をイエスと名づくべし。
32 彼は大ならん、至高者の子と稱へられん。また主たる神、これに其の父󠄃ダビデの座位をあたへ給へば、
109㌻
33 ヤコブの家を永遠󠄄に治めん。その國は終󠄃ることなかるべし』
34 マリヤ御使に言ふ『われ未だ人を知らぬに、如何にして此の事のあるべき』
35 御使こたへて言ふ『聖󠄄靈なんぢに臨み、至高者の能力なんぢを被はん。此の故に汝が生むところの聖󠄄なる者は、神の子と稱へらるべし。
36 視よ、なんぢの親族エリサベツも、年老いたれど、男子を孕めり。石女といはれたる者なるに、今は孕りてはや六月になりぬ。
37 それ神の言には能はぬ所󠄃なし』
38 マリヤ言ふ『視よ、われは主の婢女なり。汝の言のごとく、我に成れかし』つひに御使、はなれ去りぬ。
39 その頃マリヤ立ちて、山里に急󠄃ぎ徃き、ユダの町にいたり、
40 ザカリヤの家に入りてエリサベツに挨拶せしに、
41 エリサベツ、その挨拶を聞くや、兒は胎內にて躍󠄃れり。エリサベツ聖󠄄靈にて滿され、
42 聲高らかに呼はりて言ふ『をんなの中にて汝は祝福せられ、その胎の實もまた祝福せられたり。
43 わが主の母われに來る、われ何によりてか之を得し。
44 視よ、なんぢの挨拶の聲、わが耳に入るや、我が兒、胎內にて喜びをどれり。
45 信ぜし者は幸福なるかな、主の語り給ふことは必ず成就すべければなり』
46 マリヤ言ふ、 『わが心、主を崇め、
47 わが靈は、わが救主なる神を喜び奉る。
48 その婢女の卑しきをも顧󠄃み給へばなり。 視よ、今よりのち萬世の人、われを幸福とせん。
49 全󠄃能者、われに大なる事を爲したまへばなり。 その御名は聖󠄄なり、〘80㌻〙
50 その憐憫は代々 畏み恐るる者に臨むなり。
51 神は御腕にて權力をあらはし、《[*]》心の念に高ぶる者を散らし、[*或は「高ぶる者をその心の企圖にて散らし」と譯す。]
52 權勢ある者を座位より下し、 卑しき者を高うし、
110㌻
53 飢󠄄ゑたる者を善きものに飽󠄄かせ、 富める者を空󠄃しく去らせ給ふ。
54 また我らの先祖に吿げ給ひし如く、
55 アブラハムと、その裔とに對する憐憫を、永遠󠄄に忘れじとて、 僕イスラエルを助け給へり』
56 斯てマリヤは、三月ばかりエルザベツと偕に居りて、己が家に歸れり。
57 偖エリサベツ產む期みちて男子を生みたれば、
58 その最寄のもの親族の者ども主の大なる憐憫を、エリサベツに垂れ給ひしことを聞きて、彼とともに喜ぶ。
59 八日めになりて、其の子に割󠄅禮を行はんとて人々きたり、父󠄃の名に因みてザカリヤと名づけんとせしに、
60 母こたへて言ふ『否、ヨハネと名づくべし』
61 かれら言ふ『なんぢの親族の中には此の名をつけたる者なし』
62 而して父󠄃に首にて示し、いかに名づけんと思ふか、問ひたるに、
63 ザカリヤ書板を求めて『その名はヨハネなり』と書きしかば、みな怪しむ。
64 ザカリヤの口たちどころに開け、舌ゆるみ、物いひて神を讃めたり。
65 最寄に住󠄃む者みな懼をいだき、又󠄂すべて此等のこと徧くユダヤの山里に言ひ囃されたれば、
66 聞く者みな之を心にとめて言ふ『この子は如何なる者にか成らん』主の手かれと偕に在りしなり。
67 斯て父󠄃ザカリヤ聖󠄄靈にて滿され預言して言ふ
68 『讃むべきかな、主イスラエルの神、 その民を顧󠄃みて贖罪をなし、
69 我等のために救の角を、 その僕ダビデの家に立て給へり。
70 これぞ古へより聖󠄄預言者の口をもて言ひ給ひし如く、
71 我らを仇より、凡て我らを憎む者の手より、取り出したまふ救なる。
72 我らの先祖に憐憫をたれ、その聖󠄄なる契約を思し、
73 我らの先祖アブラハムに立て給ひし御誓を忘れずして、〘81㌻〙
111㌻
74 我らを仇の手より救ひ、 生涯、主の御前󠄃に、
75 聖󠄄と義とをもて懼なく事へしめ給ふなり。
76 幼兒よ、なんぢは至高者の預言者と稱へられん。 これ主の御前󠄃に先だちゆきて其の道󠄃を備へ、
77 主の民に罪の赦による救を知らしむればなり。
78 これ我らの神の深き憐憫によるなり。 この憐憫によりて、朝󠄃の光、上より臨み、
79 暗󠄃黑と死の蔭とに坐する者をてらし、 我らの足を平󠄃和の路に導󠄃かん』
80 斯て幼兒は漸に成長し、その靈强くなり、イスラエルに現るる日まで荒野にゐたり。
第2章
1 その頃、天下の人を戶籍に著かすべき詔令カイザル・アウグストより出づ。
2 この戶籍登錄は、クレニオ、シリヤの總督たりし時に行はれし初のものなり。
3 さて人みな戶籍に著かんとて、各自その故郷に歸る。
4 ヨセフもダビデの家系また血統なれば、
5 旣に孕める許嫁の妻マリヤとともに、戶籍に著かんとて、ガリラヤの町ナザレを出でてユダヤに上り、ダビデの町ベツレヘムといふ處に到りぬ。
6 此處に居るほどに、マリヤ月滿ちて、
7 初子をうみ之を布に包みて馬槽に臥させたり。旅舍にをる處なかりし故なり。
8 この地に野宿して夜、群を守りをる牧者ありしが、
9 主の使その傍らに立ち、主の榮光その周󠄃圍を照したれば、甚く懼る。
10 御使かれらに言ふ『懼るな、視よ、この民、一般に及ぶべき、大なる歡喜の音󠄃信を我なんぢらに吿ぐ、
11 今日ダビデの町にて汝らの爲に救主うまれ給へり、これ主キリストなり。
12 なんぢら布にて包まれ、馬槽に臥しをる嬰兒を見ん、是その徴なり』
13 忽ちあまたの天の軍勢、御使に加はり、神を讃美して言ふ、
112㌻
14 『《[*]》いと高き處には榮光、神にあれ。 地には平󠄃和、主の悅び給ふ人にあれ』[*異本「いと高き處には榮光、神に、地には平󠄃和、人には惠あれ」とあり。]
15 御使等さりて天に徃きしとき、牧者たがひに語る『いざ、ベツレヘムにいたり、主の示し給ひし起󠄃れる事を見ん』
16 乃ち急󠄃ぎ徃きて、マリヤとヨセフと、馬槽に臥したる嬰兒とに尋󠄃ねあふ。〘82㌻〙
17 旣に見て、この子につき御使の語りしことを吿げたれば、
18 聞く者はみな牧者の語りしことを怪しみたり。
19 而してマリヤは凡て此等のことを心に留めて思ひ囘せり。
20 牧者は御使の語りしごとく凡ての事を見聞せしによりて神を崇め、かつ讃美しつつ歸れり。
21 八日みちて幼兒に割󠄅禮を施すべき日となりたれば、未だ胎內に宿らぬ先に御使の名づけし如く、その名をイエスと名づけたり。
22 モーセの律法に定めたる潔󠄄の日滿ちたれば、彼ら幼兒を携へて、エルサレムに上る。
23 これは主の律法に『すべて初子に生るる男子は主につける聖󠄄なる者と稱へらるべし』と錄されたる如く、幼兒を主に獻げ、
24 また主の律法に『山鳩、一對あるひは家鴿の雛二羽』と云ひたるに遵󠄅ひて、犧牲を供へん爲なり。
25 視よ、エルサレムにシメオンといふ人あり。この人は義かつ敬虔にしてイスラエルの慰められんことを待ち望󠄇む。聖󠄄靈その上に在す。
26 また聖󠄄靈に主のキリストを見ぬうちは死を見ずと示されたれしが、
27 此のとき、御靈に感じて宮に入る。兩親その子イエスを携へ、この子のために律法の慣例に遵󠄅ひて、行はんとて來りたれば、
28 シメオン、イエスを取りいだき、神を讃めて言ふ、
29 『主よ、今こそ御言に循ひて 僕を安らかに逝󠄃かしめ給ふなれ。
30 わが目は、はや主の救を見たり。
31 是もろもろの民の前󠄃に備へ給ひし者、
32 異邦人を照す光、 御民イスラエルの榮光なり』
113㌻
33 かく幼兒に就きて語ることを、其の父󠄃母あやしみ居たれば、
34 シメオン彼らを祝して母マリヤに言ふ『視よ、この幼兒は、イスラエルの多くの人の或は倒れ、或は起󠄃たん爲に、また言ひ逆󠄃ひを受くる徴のために置かる。
35 ――劍なんぢの心をも刺し貫くべし――これは多くの人の心の念の顯れん爲なり』
36 爰にアセルの族パヌエルの娘に、アンナといふ預言者あり、年いたく老ゆ。處女のとき、夫に適󠄄きて《[*]》七年ともに居り、[*或は「七年ともにをりて寡婦󠄃となり今は八十四歳なり」と譯す。]
37 八十四年寡婦󠄃たり。宮を離れず、夜も晝も、斷食󠄃と祈禱とを爲して神に事ふ。
38 この時すすみ寄りて、神に感謝し、また凡てエルサレムの拯贖を待ちのぞむ人に、幼兒のことを語れり。
39 さて主の律法に遵󠄅ひて、凡ての事を果したれば、ガリラヤに歸り、己が町ナザレに到れり。
〘83㌻〙
40 幼兒は漸に成長して健かになり、智慧󠄄みち、かつ神の惠その上にありき。
41 斯てその兩親、過󠄃越の祭には年每にエルサレムに徃きぬ。
42 イエスの十二歳のとき、祭の慣例に遵󠄅ひて上りゆき、
43 祭の日終󠄃りて歸る時、その子イエスはエルサレムに止りたまふ。兩親は之を知らずして、
44 道󠄃伴󠄃のうちに居るならんと思ひ、一日路ゆきて、親族・知邊のうちを尋󠄃ぬれど、
45 遇󠄃はぬに因りて復たづねつつエルサレムに歸り、
46 三日ののち、宮にて敎師のなかに坐し、かつ聽き、かつ問ひゐ給ふに遇󠄃ふ。
47 聞く者は皆その聰と答とを怪しむ。
48 兩親イエスを見て、いたく驚き、母は言ふ『兒よ、何故かかる事を我らに爲しぞ、視よ、汝の父󠄃と我と憂ひて尋󠄃ねたり』
49 イエス言ひたまふ『何故われを尋󠄃ねたるか、我は《[*]》わが父󠄃の家に居るべきを知らぬか』[*或は「我が父󠄃の事を務むべきを知らぬか」と譯す。]
114㌻
50 兩親はその語りたまふ事を悟らず。
51 斯てイエス彼等とともに下り、ナザレに徃きて順ひ事へたまふ。其の母これらの事をことごとく心に藏む。
52 イエス智慧󠄄も《[*]》身のたけも彌增り神と人とにますます愛せられ給ふ。[*或は「齡」と譯す。]
第3章
1 テベリオ・カイザル在位の十五年ポンテオ・ピラトは、ユダヤの總督、ヘロデはガリラヤ分󠄃封の國守、その兄弟ピリポは、イツリヤ及びテラコニテの地の分󠄃封の國守、ルサニヤはアビレネ分󠄃封の國守たり、
2 アンナスとカヤパとは大祭司たりしとき、神の言、荒野にてザカリヤの子ヨハネに臨む。
3 斯てヨルダン河の邊なる四方の地にゆき、罪の赦を得さする悔改のバプテスマを宣傳ふ。
4 預言者イザヤの言の書に 『荒野に呼はる者の聲す。 「主の道󠄃を備へ、その路すじを直くせよ。
5 もろもろの谷は埋められ、もろもろの山と岡とは平󠄃げられ、 曲りたるは直く、嶮しきは坦かなる路となり、
6 人みな神の救を見ん」』と錄されたるが如し。
7 偖ヨハネ、バプテスマを受けんとて出できたる群衆にいふ『蝮の裔よ、誰が汝らに、來らんとする御怒を避󠄃くべき事を示したるぞ。〘84㌻〙
8 さらば悔改に相應しき果を結べ。なんぢら「我らの父󠄃にアブラハムあり」と心のうちに言ひ始むな。我なんぢらに吿ぐ、神はよく此らの石よりアブラハムの子等を起󠄃し得給ふなり。
9 斧ははや樹の根に置かる。然れば凡て善き果を結ばぬ樹は、伐られて火に投げ入れらるべし』
10 群衆ヨハネに問ひて言ふ『さらば我ら何を爲すべきか』
11 答へて言ふ『二つの下衣をもつ者は、有たぬ者に分󠄃け與へよ。食󠄃物を有つ者もまた然せよ』
12 取税人もバプテスマを受けんとて來りて言ふ『師よ、我ら何を爲すべきか』
13 答へて言ふ『定りたるものの外、なにをも促るな』
115㌻
14 兵卒もまた問ひて言ふ『我らは何を爲すべきか』答へて言ふ『人を劫かし、また誣ひ訴ふな、己が給料をもて足れりとせよ』
15 民、待ち望󠄇みゐたれば、みな心の中にヨハネをキリストならんかと論ぜしに、
16 ヨハネ凡ての人に答へて言ふ『我は水にて汝らにバプテスマを施す、されど我よりも能力ある者きたらん、我はその鞋の紐を解くにも足らず。彼は聖󠄄靈と火とにて汝らにバプテスマを施さん。
17 手には箕を持ちたまふ。禾場をきよめ、麥を倉に納󠄃めんとてなり。而して殼は消󠄃えぬ火にて焚きつくさん』
18 ヨハネこの他なほ、さまざまの勸をなして、民に福音󠄃を宣傳ふ。
19 然るに國守ヘロデ、その兄弟の妻ヘロデヤの事につき、又󠄂その行ひたる凡ての惡しき事につきて、ヨハネに責められたれば、
20 更に復一つの惡しき事を加へて、ヨハネを獄に閉ぢこめたり。
21 民みなバプテスマを受けし時、イエスもバプテスマを受けて祈りゐ給へば、天ひらけ、
22 聖󠄄靈、形をなして鴿のごとく其の上に降り、かつ天より聲あり、曰く『なんぢは我が愛しむ子なり、我なんぢを悅ぶ』
23 イエスの、敎を宣べ始め給ひしは、年おほよそ三十の時なりき。人にはヨセフの子と思はれ給へり。ヨセフの父󠄃はヘリ、
24 その先はマタテ、レビ、メルキ、ヤンナイ、ヨセフ、
25 マタテヤ、アモス、ナホム、エスリ、ナンガイ、
26 マハテ、マタテヤ、シメイ、ヨセク、ヨダ、
27 ヨハナン、レサ、ゾロバベル、サラテル、ネリ、
28 メルキ、アデイ、コサム、エルマダム、エル、
29 ヨセ、エリエゼル、ヨリム、マタテ、レビ、
30 シメオン、ユダ、ヨセフ、ヨナム、エリヤキム、
116㌻
31 メレヤ、メナ、マタタ、ナタン、ダビデ、
32 エツサイ、オベデ、ボアズ、サラ、ナアソン、
33 アミナダブ、アデミン、アルニ、エスロン、パレス、ユダ、〘85㌻〙
34 ヤコブ、イサク、アブラハム、テラ、ナホル、
35 セルグ、レウ、ペレグ、エベル、サラ、
36 カイナン、アルパクサデ、セム、ノア、ラメク、
37 メトセラ、エノク、ヤレデ、マハラレル、カイナン、
38 エノス、セツ、アダムに至る。アダムは神の子なり。
第4章
1 偖イエス聖󠄄靈にて滿ち、ヨルダン河より歸り荒野にて、四十日のあひだ御靈に導󠄃かれ、
2 惡魔󠄃に試みられ給ふ。この間なにをも食󠄃はず、日數滿ちてのち餓󠄃ゑ給ひたれば、
3 惡魔󠄃いふ『なんぢ若し神の子ならば此の石に命じてパンと爲らしめよ』
4 イエス答へたまふ『「人の生くるはパンのみに由るにあらず」と錄されたり』
5 惡魔󠄃またイエスを携へのぼりて瞬間に天下のもろもろの國を示して言ふ、
6 『この凡ての權威と國々の榮華とを汝に與へん。我これを委ねられたれば、我が欲する者に與ふるなり。
7 この故にもし我が前󠄃に拜せば、ことごとく汝の有となるべし』
8 イエス答へて言ひたまふ『「主なる汝の神を拜し、ただ之にのみ事ふべし」と錄されたり』
9 惡魔󠄃またイエスをエルサレムに連れゆき、宮の頂上に立たせて言ふ、『なんぢ若し神の子ならば、此處より己が身を下に投げよ。
10 それは 「なんぢの爲に御使たちに命じて守らしめ給はん」
11 「かれら手にて汝を支へ、 その足を石に打當つる事なからしめん」と錄されたるなり』
12 イエス答へて言ひたまふ『「主なる汝の神を試むべからず」と云ひてあり』
13 惡魔󠄃あらゆる甞試を盡してのち暫くイエスを離れたり。
117㌻
14 イエス御靈の能力をもてガリラヤに歸り給へば、その聲聞あまねく四方の地に弘る。
15 斯て諸會堂にて敎をなし、凡ての人に崇められ給ふ。
16 偖その育てられ給ひし處の、ナザレに到り例のごとく、安息日に會堂に入りて聖󠄄書を讀まんとて立ち給ひしに、
17 預言者イザヤの書を與へたれば、其の書を繙きて、かく錄されたる所󠄃を見出し給ふ。
18 『主の御靈われに在す。 これ我に油を注ぎて貧󠄃しき者に福音󠄃を宣べしめ、 我を遣󠄃して囚人に赦を得ることと、 盲人に見ゆる事とを吿げしめ、 壓へらるる者を放ちて自由を與へしめ、
19 主の喜ばしき年を宣傳へしめ給ふなり』〘86㌻〙
20 イエス書を卷き、係りの者に返󠄄して坐し給へば、會堂に居る者みな之に目を注ぐ。
21 イエス言ひ出でたまふ『この聖󠄄書は今日なんぢらの耳に成就したり』
22 人々みなイエスを譽め、又󠄂その口より出づる惠の言を怪しみて言ふ『これヨセフの子ならずや』
23 イエス言ひ給ふ『なんぢら必ず我に俚諺を引きて「醫者よ、みづから己を醫せ、カペナウムにて有りしといふ、我らが聞ける事どもを己が郷なる此の地にても爲せ」と言はん』
24 また言ひ給ふ『われ誠に汝らに吿ぐ、預言者は己が郷にて喜ばるることなし。
25 われ實をもて汝らに吿ぐ、エリヤのとき三年六个月、天とぢて、全󠄃地大なる饑饉なりしが、イスラエルの中に多くの寡婦󠄃ありたれど、
26 エリヤは其の一人にすら遣󠄃されず、唯シドンなるサレプタの一人の寡婦󠄃にのみ遣󠄃されたり。
27 また預言者エリシヤの時、イスラエルの中に多くの癩病人ありしが、其の一人だに潔󠄄められず、唯シリヤのナアマンのみ潔󠄄められたり』
28 會堂にをる者みな之を聞きて憤恚に滿ち、
29 起󠄃ちてイエスを町より逐󠄃ひ出し、その町の建ちたる山の崖に引き徃きて、投げ落さんとせしに、
118㌻
30 イエスその中を通󠄃りて去り給ふ。
31 斯てガリラヤの町カペナウムに下りて、安息日ごとに人を敎へ給へば、
32 人々その敎に驚きあへり。その言、權威ありたるに因る。
33 會堂に穢れし惡鬼の靈に憑かれたる人あり、大聲に叫びて言ふ、
34 『ああ、ナザレのイエスよ、我らは汝となにの關係あらんや。我らを亡さんとて來給ふか。我はなんぢの誰なるを知る、神の聖󠄄者なり』
35 イエス之を禁めて言ひ給ふ『默せ、その人より出でよ』惡鬼その人を人々の中に倒し、傷つけずして出づ。
36 みな驚き、語り合ひて言ふ『これ如何なる言ぞ、權威と能力とをもて命ずれば、穢れし惡鬼すら出で去る』
37 爰にイエスの噂あまねく四方の地に弘りたり。
38 イエス會堂を立ち出でて、シモンの家に入り給ふ。シモンの外姑おもき熱を患ひ居たれば、人々これが爲にイエスに願ふ。
39 その傍らに立ちて熱を責めたまへば、熱去りて女たちどころに起󠄃きて彼らに事ふ。
40 日のいる時さまざまの病を患ふ者をもつ人、みな之をイエスに連れ來れば、一々その上に手を置きて醫し給ふ。
41 惡鬼もまた多くの人より出でて叫びつつ言ふ『なんぢは神の子なり』之を責めて物言ふことを免し給はず、惡鬼そのキリストなるを知るに因りてなり。
〘87㌻〙
42 明る朝󠄃イエス出でて寂しき處にゆき給ひしが、群衆たづねて御許に到り、その去り徃くことを止めんとせしに、
43 イエス言ひ給ふ『われ又󠄂ほかの町々にも神の國の福音󠄃を宣傳へざるを得ず、わが遣󠄃されしは之が爲なり』
44 斯て《[*]》ユダヤの諸會堂にて敎を宣べたまふ。[*異本「ガリラヤ」とあり。]
119㌻
第5章
1 群衆おし迫󠄃りて神の言を聽きをる時、イエス、ゲネサレの湖のほとりに立ちて、
2 渚に二艘の舟の寄せあるを見たまふ、漁人は舟をいでて網を洗ひ居たり。
3 イエスその一艘なるシモンの舟に乘り、彼に請󠄃ひて陸より少しく押し出さしめ、坐して舟の中より群衆を敎へたまふ。
4 語り終󠄃へてシモンに言ひたまふ『深處に乘りいだし、網を下して漁れ』
5 シモン答へて言ふ『君よ、われら終󠄃夜、勞したるに何をも得ざりき、然れど御言に隨ひて網を下さん』
6 斯て然せしに魚の夥多しき群を圍みて網裂けかかりたれば、
7 他の一艘の舟にをる組の者を差招きて來り助けしむ。來りて魚を二艘の舟に滿したれば、舟沈まんばかりになりぬ。
8 シモン・ペテロ之を見て、イエスの膝下に平󠄃伏して言ふ『主よ、我を去りたまへ。我は罪ある者なり』
9 これはシモンも偕に居る者もみな漁りし魚の夥多しきに驚きたるなり。
10 ゼベダイの子にしてシモンの侶なるヤコブもヨハネも同じく驚けり。イエス、シモンに言ひたまふ『懼るな、なんぢ今より後、人を《[*]》漁らん』[*直譯「生捕らん」]
11 かれら舟を陸につけ、一切を棄ててイエスに從へり。
12 イエス或る町に居給ふとき、視よ、全󠄃身癩病をわづらふ者あり。イエスを見て平󠄃伏し、願ひて言ふ『主よ、御意󠄃ならば、我を潔󠄄くなし給ふを得ん』
13 イエス手をのべ彼につけて『わが意󠄃なり、潔󠄄くなれ』と言ひ給へば、直ちに癩病されり。
14 イエス之を誰にも語らぬやうに命じ、かつ言ひ給ふ『ただ徃きて己を祭司に見せ、モーセが命じたるごとく汝の潔󠄄のために獻物して、人々に證せよ』
15 されど彌增々イエスの事ひろまりて、大なる群衆、あるひは敎を聽かんとし、或は病を醫されんとして集り來りしが、
16 イエス寂しき處に退󠄃きて祈り給ふ。
120㌻
17 或日イエス敎をなし給ふとき、ガリラヤの村々、ユダヤ及びエルサレムより來りしパリサイ人、敎法學者ら、そこに坐しゐたり。病を醫すべき主の能力イエスと偕にありき。〘88㌻〙
18 視よ、人々、中風を病める者を、床にのせて擔ひきたり、之を家に入れて、イエスの前󠄃に置かんとすれど、
19 群衆によりて擔ひ入るべき道󠄃を得ざれば、屋根にのぼり、瓦を取り除けて床のまま、人々の中にイエスの前󠄃に縋り下せり。
20 イエス彼らの信仰を見て言ひたまふ『人よ、汝の罪ゆるされたり』
21 爰に學者・パリサイ人ら論じ出でて言ふ『瀆言をいふ此の人は誰ぞ、神より他に誰か罪を赦すことを得べき』
22 イエス彼らの論ずる事をさとり、答へて言ひ給ふ『なにを心のうちに論ずるか。
23 「なんぢの罪ゆるされたり」と言ふと「起󠄃きて步め」と言ふと孰か易き、
24 人の子の地にて罪をゆるす權威あることを、汝らに知らせん爲に』――中風を病める者に言ひ給ふ――『なんぢに吿ぐ、起󠄃きよ、床をとりて家に徃け』
25 かれ立刻に人々の前󠄃にて起󠄃きあがり、臥しゐたる床をとりあげ、神を崇めつつ己が家に歸りたり。
26 人々みな甚く驚きて神をあがめ懼に滿ちて言ふ『今日われら珍しき事を見たり』
27 この事の後イエス出でて、レビといふ取税人の收税所󠄃に坐しをるを見て『われに從へ』と言ひ給へば、
28 一切を棄ておき、起󠄃ちて從へり。
29 レビ己が家にて、イエスの爲に大なる饗宴を設けしに、取税人および他の人々も多く、食󠄃事の席に列りゐたれば、
30 パリサイ人および其の曹輩の學者ら、イエスの弟子たちに向ひ、呟きて言ふ『なにゆゑ汝らは取税人・罪人らと共に飮食󠄃するか』
31 イエス答へて言ひたまふ『健康なる者は醫者を要󠄃せず、ただ病ある者、これを要󠄃す。
32 我は正しき者を招かんとにあらで、罪人を招きて悔改めさせんとて來れり』
121㌻
33 彼らイエスに言ふ『ヨハネの弟子たちは、しばしば斷食󠄃し祈禱し、パリサイ人の弟子たちも亦然するに、汝の弟子たちは飮食󠄃するなり』
34 イエス言ひたまふ『新郎の友だち新郎と偕にをるうちは、彼らに斷食󠄃せしめ得んや。
35 然れど日來りて新郎をとられん、その日には斷食󠄃せん』
36 イエスまた譬を言ひ給ふ『たれも新しき衣を切り取りて、舊き衣を繕ふ者はあらじ。もし然せば新しきものも破れ、かつ新しきものより取りたる裂も舊きものに合はじ。
37 誰も新しき葡萄酒を、ふるき革嚢に入るることは爲じ。もし然せば葡萄酒は嚢をはりさき漏れ出でて嚢も廢らん。
38 新しき葡萄酒は、新しき革嚢に入るべきなり。
39 誰も舊き葡萄酒を飮みてのち、新しき葡萄酒を望󠄇む者はあらじ。「舊きは善し」と云へばなり』〘89㌻〙
第6章
1 イエス安息日に麥畠を過󠄃ぎ給ふとき、弟子たち穗を摘み、手にて揉みつつ食󠄃ひたれば、
2 パリサイ人のうち或者ども言ふ『なんぢらは何ゆゑ安息日に爲まじき事をするか』
3 イエス答へて言ひ給ふ『ダビデその伴󠄃へる人々とともに飢󠄄ゑしとき、爲しし事をすら讀まぬか。
4 即ち神の家に入りて、祭司の他は食󠄃ふまじき供のパンを取りて食󠄃ひ、己と偕なる者にも與へたり』
5 また言ひたまふ『人の子は安息日の主たるなり』
6 又󠄂ほかの安息日にイエス會堂に入りて敎をなし給ひしに、此處に人あり、其の右の手なえたり。
7 學者・パリサイ人ら、イエスを訴ふる廉を見出さんと思ひて、安息日に人を醫すや否やを窺ふ。
8 イエス彼らの念を知りて手なえたる人に『起󠄃きて中に立て』と言ひ給へば、起󠄃きて立てり。
9 イエス彼らに言ひ給ふ『われ汝らに問はん、安息日に善をなすと惡をなすと、生命を救ふと亡すと、孰かよき』
122㌻
10 かくて一同を見まはして、手なえたる人に『なんぢの手を伸べよ』と言ひ給ふ。かれ然なしたれば、その手癒󠄄ゆ。
11 然るに彼ら狂氣の如くなりて、イエスに何をなさんと語り合へり。
12 その頃イエス祈らんとて山にゆき、神に祈りつつ夜を明したまふ。
13 夜明になりて弟子たちを呼び寄せ、その中より十二人を選󠄄びて、之を使徒と名づけたまふ。
14 即ちペテロと名づけ給ひしシモンと其の兄弟アンデレと、ヤコブとヨハネと、ピリポとバルトロマイと、
15 マタイとトマスと、アルパヨの子ヤコブと熱心黨と呼ばるるシモンと、
16 ヤコブの《[*]》子ユダとイスカリオテのユダとなり。このユダはイエスを賣る者となりたり。[*或は「兄弟」と譯す。]
17 イエス此等とともに下りて、平󠄃かなる處に立ち給ひしに、弟子の大なる群衆およびユダヤ全󠄃國、エルサレム又󠄂ツロ、シドンの海邊より來りて或は敎を聽かんとし、或は病を醫されんとする民の大なる群も、そこにあり。
18 穢れし靈に惱されたる者も醫される。
19 能力イエスより出でて、凡ての人を醫せば、群衆みなイエスに觸らん事を求む。
20 イエス目をあげ弟子たちを見て言ひたまふ『幸福なるかな、貧󠄃しき者よ、神の國は汝らの有なり。
21 幸福なる哉、いま飢󠄄うる者よ、汝ら飽󠄄くことを得ん。幸福なる哉、いま泣く者よ、汝ら笑ふことを得ん。
22 人なんぢらを憎み、人の子のために遠󠄄ざけ謗り汝らの名を惡しとして棄てなば、汝ら幸福なり。〘90㌻〙
23 その日には、喜び躍󠄃れ。視よ、天にて汝らの報は大なり、彼らの先祖が預言者たちに爲ししも、斯くありき。
24 されど禍害󠄅なるかな、富む者よ、汝らは旣にその慰安を受けたり。
123㌻
25 禍害󠄅なる哉、いま飽󠄄く者よ、汝らは飢󠄄ゑん。禍害󠄅なる哉、いま笑ふ者よ、汝らは悲しみ泣かん。
26 凡ての人、なんぢらを譽めなば、汝ら禍害󠄅なり。彼らの先祖が虛僞の預言者たちに爲ししも、斯くありき。
27 われ更に汝ら聽くものに吿ぐ、なんぢらの仇を愛し汝らを憎む者を善くし、
28 汝らを詛ふ者を祝し、汝らを辱しむる者のために祈れ。
29 なんぢの頬を打つ者には、他の頬をも向けよ。なんぢの上衣を取る者には下衣をも拒むな。
30 すべて求むる者に與へ、なんぢの物を奪ふ者に復索むな。
31 なんぢら人に爲られんと思ふごとく、人にも然せよ。
32 なんぢら己を愛する者を愛せばとて、何の嘉すべき事あらん、罪人にても己を愛する者を愛するなり。
33 汝等おのれに善をなす者に善を爲すとも、何の嘉すべき事あらん、罪人にても然するなり。
34 なんぢら得る事あらんと思ひて人に貸すとも、何の嘉すべき事あらん、罪人にても均しきものを受けんとて罪人に貸すなり。
35 汝らは仇を愛し、善をなし、何をも求めずして貸せ、然らば、その報は大ならん。かつ至高者の子たるべし。至高者は恩を知らぬもの、惡しき者にも仁慈あるなり。
36 汝らの父󠄃の慈悲なるごとく、汝らも慈悲なれ。
37 人を審くな、然らば汝らも審かるる事あらじ。人を罪に定むな、然らば汝らも罪に定めらるる事あらじ。人を赦せ、然らば汝らも赦されん。
38 人に與へよ、然らば汝らも與へられん。人は量をよくし、押し入れ、搖り入れ溢󠄃るるまでにして、汝らの懷中に入れん。汝等おのが量る量にて量らるべし』
39 また譬にて言ひたまふ『盲人は盲人を手引するを得んや。二人とも穴󠄄に落ちざらんや。
40 弟子はその師に勝󠄃らず、凡そ全󠄃うせられたる者は、その師の如くならん。
124㌻
41 何ゆゑ兄弟の目にある《[*]》塵を見て、己が目にある梁木を認󠄃めぬか。[*或は「木屑」と譯す。]
42 おのが目にある梁木を見ずして爭で兄弟に向ひて「兄弟よ、汝の目にある塵を取り除かせよ」といふを得んや。僞善者よ、先づ己が目より梁木を取り除け。さらば明かに見えて兄弟の目にある塵を取りのぞき得ん。
43 惡しき果を結ぶ善き樹はなく、また善き果を結ぶ惡しき樹はなし。
44 樹はおのおの其の果によりて知らる。茨より無花果を取らず、野荊より葡萄を收めざるなり。〘91㌻〙
45 善き人は心の善き倉より善きものを出し、惡しき人は惡しき倉より惡しき物を出す。それ心に滿つるより、口は物言ふなり。
46 なんぢら我を「主よ主よ」と呼びつつ何ぞ我が言ふことを行はぬか。
47 凡そ我にきたり我が言を聽きて行ふ者は、如何なる人に似たるかを示さん。
48 即ち家を建つるに地を深く掘り岩の上に基を据ゑたる人のごとし。洪水いでて流その家を衝けども動かすこと能はず、これ固く建られたる故なり。
49 されど聽きて行はぬ者は、基なくして家を土の上に建てたる人のごとし。流その家を衝けば、直ちに崩󠄃れて、その破壞、甚だし』
第7章
1 イエス凡て此らの言を民に聞かせ終󠄃へて後、カペナウムに入り給ふ。
2 時に或百卒長、その重んずる僕やみて死ぬばかりなりしかば、
3 イエスの事を聽きて、ユダヤ人の長老たちを遣󠄃し、來りて僕を救ひ給はんことを願ふ。
4 彼らイエスの許にいたり、切に請󠄃ひて言ふ『かの人は、此の事を爲らるるに相應し。
5 わが國人を愛し、我らのために會堂を建てたり』
6 イエス共に徃き給ひて、その家はや程近󠄃くなりしとき、百卒長、數人の友を遣󠄃して言はしむ『主よ、自らを煩はし給ふな。我は汝をわが屋根の下に入れまつるに足らぬ者なり。
125㌻
7 されば御前󠄃に出づるにも相應しからずと思へり、《[*]》ただ御言を賜ひて我が僕をいやし給へ。[*異本「ただ御言を賜へ、さらば我が僕は瘉えん」とあり。]
8 我みづから權威の下に置かるる者なるに、我が下にまた兵卒ありて、此に「徃け」と言へば徃き、彼に「來れ」と言へば來り、わが僕に「これを爲せ」と言へば爲すなり』
9 イエス聞きて彼を怪しみ振反りて、從ふ群衆に言ひ給ふ『われ汝らに吿ぐ、イスラエルの中にだに斯るあつき信仰は見しことなし』
10 遣󠄃されたる者ども家に歸りて、僕を見れば、旣に健康となれり。
11 その後イエス、ナインといふ町にゆき給ひしに弟子たち及び大なる群衆も共に徃く。
12 町の門に近󠄃づき給ふとき、視よ、舁き出さるる死人あり。これは獨息子にて母は寡婦󠄃なり、町の多くの人々これに伴󠄃ふ。
13 主、寡婦󠄃を見て、憫み『泣くな』と言ひて、
14 近󠄃より柩に手をつけ給へば、舁くもの立ち止る。イエス言ひたまふ『若者よ、我なんぢに言ふ、起󠄃きよ』〘92㌻〙
15 死人、起󠄃きかへりて物言ひ始む。イエス之を母に付したまふ。
16 人々みな懼をいだき、神を崇めて言ふ『大なる預言者、われらの中に興れり』また言ふ『神その民を顧󠄃み給へり』
17 この事ユダヤ全󠄃國および最寄の地に徧くひろまりぬ。
18 偖ヨハネの弟子たち、凡て此等のことを吿げたれば、
19 ヨハネ兩三人の弟子を呼び、主に遣󠄃して言はしむ『來るべき者は汝なるか、或は他に待つべきか』
20 彼ら御許に到りて言ふ『バプテスマのヨハネ、我らを遣󠄃して言はしむ「來るべき者は汝なるか、或は他に待つべきか」』
21 この時イエス多くの者の病・疾患を醫し、惡しき靈を逐󠄃ひいだし、又󠄂おほくの盲人に見ることを得しめ給ひしが、
22 答へて言ひたまふ『徃きて汝らが見聞せし所󠄃をヨハネに吿げよ。盲人は見、跛者はあゆみ、癩病人は潔󠄄められ、聾者はきき、死人は甦へらせられ、貧󠄃しき者は福音󠄃を聞かせらる。
126㌻
23 おほよそ我に躓かぬ者は幸福なり』
24 ヨハネの使の去りたる後、ヨハネの事を群衆に言ひいで給ふ『なんぢら何を眺めんとて野に出でし、風にそよぐ葦なるか。
25 然らば何を見んとて出でし、柔かき衣を著たる人なるか。視よ、華美なる衣をきて奢り暮す者は王宮に在り。
26 然らば何を見んとて出でし、預言者なるか。然り我なんぢらに吿ぐ、預言者よりも勝󠄃る者なり。
27 「視よ、わが使を汝の顏のまへに遣󠄃す。 かれは汝の前󠄃に汝の道󠄃をそなへん」と錄されたるは此の人なり。
28 われ汝らに吿ぐ、女の產みたる者の中、ヨハネより大なる者はなし。然れど神の國にて小き者も、彼よりは大なり。
29 (凡ての民これを聞きて、取税人までも神を正しとせり。ヨハネのバプテスマを受けたるによる。
30 然れどパリサイ人・敎法師らは、其のバプテスマを受けざりしにより、各自にかかはる神の御旨をこばみたり)
31 然れば、われ今の代の人を何に比へん。彼らは何に似たるか。
32 彼らは童、市場に坐し、たがひに呼びて「われら汝らの爲に笛吹きたれど、汝ら躍󠄃らず。歎きたれど、汝ら泣かざりき」と云ふに似たり。
33 それはバプテスマのヨハネ來りて、パンをも食󠄃はず、葡萄酒をも飮まねば「惡鬼に憑かれたる者なり」と汝ら言ひ、
34 人の子きたりて飮食󠄃すれば「視よ、食󠄃を貪り、酒を好む人、また取税人・罪人の友なり」と汝ら言ふなり。〘93㌻〙
35 然れど智慧󠄄は己が凡ての子によりて正しと《[*]》せらる』[*或は「せられたり」と譯す。]
36 爰に或パリサイ人ともに食󠄃せん事をイエスに請󠄃ひたれば、パリサイ人の家に入りて席につき給ふ。
127㌻
37 視よ、この町に罪ある一人の女あり。イエスのパリサイ人の家にて食󠄃事の席にゐ給ふを知り、香油の入りたる石膏の壺を持ちきたり、
38 泣きつつ御足近󠄃く後にたち、淚にて御足をうるほし、頭の髮にて之を拭ひ、また御足に接吻して香油を抹れり。
39 イエスを招きたるパリサイ人これを見て、心のうちに言ふ『この人もし預言者ならば觸る者の誰、如何なる女なるかを知らん、彼は罪人なるに』
40 イエス答へて言ひ給ふ『シモン、我なんぢに言ふことあり』シモンいふ『師よ、言ひたまへ』
41 『或る債主に二人の負󠄅債者ありて、一人はデナリ五百、一人は五十の負󠄅債せしに、
42 償ひかたなければ、債主この二人を共に免せり。されば二人のうち債主を愛すること孰か多き』
43 シモン答へて言ふ『われ思ふに、多く免されたる者ならん』イエス言ひ給ふ『なんぢの判󠄄斷は當れり』
44 斯て女の方に振向きてシモンに言ひ給ふ『この女を見るか。我なんぢの家に入りしに、なんぢは我に足の水を與へず、此の女は淚にて我足を濡し、頭髮にて拭へり。
45 なんぢは我に接吻せず、此の女は我が入りし時より、我が足に接吻して止まず。
46 なんぢは我が頭に油を抹らず、此の女は我が足に香油を抹れり。
47 この故に我なんぢに吿ぐ、この女の多くの罪は赦されたり。その愛すること大なればなり。赦さるる事の少き者は、その愛する事もまた少し』
48 遂󠄅に女に言ひ給ふ『なんぢの罪は赦されたり』
49 同席の者ども心の內に『罪をも赦す此の人は誰なるか』と言ひ出づ。
50 爰にイエス女に言ひ給ふ『なんぢの信仰、なんぢを救へり、安らかに徃け』
第8章
1 この後イエス敎を宣べ、神の國の福音󠄃を傳へつつ、町々村々を迴り給ひしに、十二弟子も伴󠄃ふ。
2 また前󠄃に惡しき靈を逐󠄃ひ出され、病を醫されなどせし女たち、即ち七つの惡鬼のいでしマグラダと呼ばるるマリヤ、
128㌻
3 ヘロデの家司クーザの妻ヨハンナ及びスザンナ、此の他にも多くの女、ともなひゐて其の財產をもて彼らに事へたり。
4 大なる群衆むらがり町々の人、みもとに寄り集ひたれば、譬をもて言ひたまふ、〘94㌻〙
5 『種播く者その種を播かんとて出づ。播くとき路の傍らに落ちし種あり、踏みつけられ、又󠄂そらの鳥これを啄む。
6 岩の上に落ちし種あり、生え出でたれど潤澤なきによりて枯る。
7 茨の中に落ちし種あり、茨も共に生え出でて之を塞ぐ。
8 良き地に落ちし種あり、生え出でて百倍の實を結べり』これらの事を言ひて呼はり給ふ『きく耳ある者は聽くべし』
9 弟子たち此の譬の如何なる意󠄃なるかを問ひたるに、
10 イエス言ひ給ふ『なんぢらは神の國の奧義を知ることを許されたれど、他の者は譬にてせらる。彼らの見て見ず、聞きて悟らぬ爲なり。
11 譬の意󠄃は是なり。種は神の言なり。
12 路の傍らなるは、聽きたるのち、惡魔󠄃きたり、信じて救はるる事のなからんために御言をその心より奪ふ所󠄃の人なり。
13 岩の上なるは聽きて御言を喜び受くれども、根なければ、暫く信じて嘗試のときに退󠄃く所󠄃の人なり。
14 茨の中に落ちしは、聽きてのち。過󠄃ぐるほどに世の心勞と財貨と快樂とに塞がれて實らぬ所󠄃の人なり。
15 良き地なるは、御言を聽き、正しく善き心にて之を守り、忍󠄄びて實を結ぶ所󠄃の人なり。
16 誰も燈火をともし器にて覆ひ、または寢臺の下におく者なし、入り來る者のその光を見んために之を燈臺の上に置くなり。
17 それ隱れたるものの顯れぬはなく、祕めたるものの知られぬはなく、明かにならぬはなし。
18 然れば汝ら聽くこと如何にと心せよ、誰にても有てる人は、なほ與へられ、有たぬ人は、その有てりと思ふ物をも取らるべし』
129㌻
19 さてイエスの母と兄弟と來りたれど、群衆によりて近󠄃づくこと能はず。
20 或人イエスに『なんぢの母と兄弟と汝に逢はんとて外に立つ』と吿げたれば、
21 答へて言ひたまふ『わが母、わが兄弟は、神の言を聽き、かつ行ふ此らの者なり』
22 或日イエス弟子たちと共に舟に乘りて『みづうみの彼方にゆかん』と言ひ給へば、乃ち船出す。
23 渡るほどにイエス眠りたまふ。颶風みづうみに吹き下し、舟に水滿ちんとして危かりしかば、
24 弟子たち御側により、呼び起󠄃して言ふ『君よ、君よ、我らは亡ぶ』イエス起󠄃きて風と浪とを禁め給へば、ともに鎭まりて凪となりぬ。
25 斯て弟子たちに言ひ給ふ『なんぢらの信仰いづこに在るか』かれら懼れ怪しみて互に言ふ『こは誰ぞ、風と水とに命じ給へば順ふとは』
〘95㌻〙
26 遂󠄅にガリラヤに對へるゲラセネ人の地に著く。
27 陸に上りたまふ時、その町の人にて惡鬼に憑かれたる者きたり遇󠄃ふ。この人は久しきあひだ衣を著ず、また家に住󠄃まずして墓の中にゐたり。
28 イエスを見てさけび、御前󠄃に平󠄃伏して大聲にいふ『至高き神の子イエスよ、我は汝と何の關係あらん、願くは我を苦しめ給ふな』
29 これはイエス穢れし靈に、この人より出で徃かんことを命じ給ひしに因る。この人けがれし靈にしばしば《[*]》拘へられ、鏈と足械とにて繋ぎ守られたれど、その繋をやぶり、惡鬼に逐󠄃はれて、荒野に徃けり。[*或は「久しく」と譯す。]
30 イエス之に『なんぢの名は何か』と問ひ給へば『レギオン』と答ふ、多くの惡鬼その中に入りたる故なり。
31 彼らイエスに底なき所󠄃に徃くを命じ給はざらんことを請󠄃ふ。
130㌻
32 彼處の山に、多くの豚の一群、食󠄃し居たりしが、惡鬼ども其の豚に入るを許し給はんことを請󠄃ひたれば、イエス許し給ふ。
33 惡鬼、人を出でて豚に入りたれば、その群、崖より湖水に駈け下りて溺れたり。
34 飼ふ者ども此の起󠄃りし事を見て逃󠄄げ徃きて、町にも里にも吿げたれば、
35 人々ありし事を見んとて出で、イエスに來りて、惡鬼の出でたる人の、衣服󠄃をつけ慥なる心にて、イエスの足下に坐しをるを見て懼れあへり。
36 かの惡鬼に憑かれたる人の救はれし事柄を見し者ども之を彼らに吿げたれば、
37 ゲラセネ地方の民衆、みなイエスに出で去り給はんことを請󠄃ふ。これ大に懼れたるなり。爰にイエス舟に乘りて歸り給ふ。
38 時に惡鬼の出でたる人、ともに在らんことを願ひたれど、之を去らしめんとて、
39 言ひ給ふ『なんぢの家に歸りて、神が如何に大なる事を汝になし給ひしかを具󠄄に吿げよ』彼ゆきて、イエスの如何に大なる事を己になし給ひしかを徧くその町に言ひ弘めたり。
40 斯てイエスの歸り給ひしとき、群衆これを迎󠄃ふ、みな待ちゐたるなり。
41 視よ、會堂司にてヤイロといふ者あり、來りてイエスの足下に伏し、その家にきたり給はんことを願ふ。
42 おほよそ十二歳ほどの一人娘ありて死ぬばかりなる故なり。イエスの徃き給ふとき、群衆かこみ塞がる。
43 爰に十二年このかた血漏を患ひて《[*]》醫者の爲に己が身代をことごとく費したれども、誰にも癒󠄄され得ざりし女あり。[*異本「醫者の爲に己が身代を悉く費しれれども」の句なし。]
44 イエスの後に來りて、御衣の總にさはりたれば、血の出づること立刻に止みたり。
45 イエス言ひ給ふ『我に觸りしは誰ぞ』人みな否みたれば、ペテロ《[*]》及び共にをる者ども言ふ『君よ、群衆なんぢを圍みて押迫󠄃るなり』[*異本「及び共になるものども」の句なし。]〘96㌻〙
131㌻
46 イエス言ひ給ふ『われに觸りし者あり、能力の我より出でたるを知る』
47 女おのれが隱れ得ぬことを知り、戰き來りて御前󠄃に平󠄃伏し、觸りし故と立刻に癒󠄄えたる事とを、人々の前󠄃にて吿ぐ。
48 イエス言ひ給ふ『むすめよ、汝の信仰なんぢを救へり、安らかに徃け』
49 かく語り給ふほどに、會堂司の家より人きたりて言ふ『なんぢの娘は早や死にたり、師を煩はすな』
50 イエス之を聞きて會堂司に答へたまふ『懼るな、ただ信ぜよ。さらば娘は救はれん』
51 イエス家に到りて、ペテロ、ヨハネ、ヤコブ及び子の父󠄃母の他は、ともに入ることを誰にも許し給はず。
52 人みな泣き、かつ子のために歎き居たりしが、イエス言ひたまふ『泣くな、死にたるにあらず、寢ねたるなり』
53 人々その死にたるを知れば、イエスを嘲笑ふ。
54 然るにイエス子の手をとり、呼びて『子よ、起󠄃きよ』と言ひ給へば、
55 その靈かへりて立刻に起󠄃く。イエス食󠄃物を之に與ふることを命じ給ふ。
56 その兩親おどろきたり。イエス此の有りし事を誰にも語らぬやうに命じ給ふ。
第9章
1 イエス十二弟子を召し寄せて、もろもろの惡鬼を制し、病をいやす能力と權威とを與へ、
2 また神の國を宣傳へしめ、人を醫さしむる爲に之を遣󠄃さんとして言ひ給ふ、
3 『旅のために何をも持つな、杖も袋も糧も銀も、また二つの下衣をも持つな。
4 いづれの家に入るとも、其處に留れ、而して其處より立ち去れ。
5 人もし汝らを受けずば、その町を立ち去るとき證のために足の塵を拂へ』
6 爰に弟子たち出でて村々を歷巡󠄃り徧く福音󠄃を宣傳へ、醫すことを爲せり。
132㌻
7 さて國守ヘロデ、ありし凡ての事をききて周󠄃章てまどふ。或人はヨハネ死人の中より甦へりたりといひ、
8 或人はエリヤ現れたりといひ、また或人は古への預言者の一人、甦へりたりと言へばなり。
9 ヘロデ言ふ『ヨハネは我すでに首斬りたり、然るに斯る事のきこゆる此の人は誰なるか』かくてイエスを見んことを求めゐたり。
10 使徒たち歸りきて、其の爲しし事を具󠄄にイエスに吿ぐ。イエス彼らを携へて竊にベツサイダといふ町に退󠄃きたまふ。〘97㌻〙
11 然れど群衆これを知りて從ひ來りたれば、彼らを接けて、神の國の事を語り、かつ治療を要󠄃する人々を醫したまふ。
12 日傾きたれば、十二弟子きたりて言ふ『群衆を去らしめ、周󠄃圍の村また里にゆき、宿をとりて、食󠄃物を求めさせ給へ。我らは斯る寂しき所󠄃に居るなり』
13 イエス言ひ給ふ『なんぢら食󠄃物を與へよ』弟子たち言ふ『我らただ五つのパンと二つの魚とあるのみ、此の多くの人のために、徃きて買はねば他に食󠄃物なし』
14 男おほよそ五千人ゐたればなり。イエス弟子たちに言ひたまふ『人々を組にして五十人づつ坐せしめよ』
15 彼等その如くなして、人々をみな坐せしむ。
16 斯てイエス五つのパンと二つの魚とを取り、天を仰ぎて祝し、擘きて弟子たちに付し、群衆のまへに置かしめ給ふ。
17 彼らは食󠄃ひて皆飽󠄄く。擘きたる餘を集めしに十二筐ほどありき。
18 イエス人々を離れて祈り居給ふとき、弟子たち偕にをりしに問ひて言ひたまふ『群衆は我を誰といふか』
19 答へて言ふ『バプテスマのヨハネ、或人はエリヤ、或人は古への預言者の一人、よみがへりたりと言ふ』
20 イエス言ひ給ふ『なんぢらは我を誰と言ふか』ペテロ答へて言ふ『神のキリストなり』
21 イエス彼らを戒めて、之を誰にも吿げぬやうに命じ、かつ言ひ給ふ
133㌻
22 『人の子は必ず多くの苦難をうけ、長老・祭司長・學者らに棄てられ、かつ殺され、三日めに甦へるべし』
23 また一同の者に言ひたまふ『人もし我に從ひ來らんと思はば、己をすて、日々おのが十字架を負󠄅ひて我に從へ。
24 己が生命を救はんと思ふ者は之を失ひ、我がために己が生命を失ふその人は之を救はん。
25 人、全󠄃世界を贏くとも己をうしなひ己を損せば、何の益あらんや。
26 我と我が言とを恥づる者をば、人の子もまた己と父󠄃と聖󠄄なる御使たちとの榮光をもて來らん時に恥づべし。
27 われ實をもて汝らに吿ぐ、此處に立つ者のうちに、神の國を見るまでは、死を味はぬ者どもあり』
28 これらの言をいひ給ひしのち八日ばかり過󠄃ぎて、ペテロ、ヨハネ、ヤコブを率󠄃きつれ、祈らんとて山に登り給ふ。
29 かくて祈り給ふほどに、御顏の狀かはり、其の衣白くなりて輝けり。
30 視よ、二人の人ありてイエスと共に語る。これはモーセとエリヤとにて、
31 榮光のうちに現れ、イエスのエルサレムにて遂󠄅げんとする逝󠄃去のことを言ひゐたるなり。
32 ペテロ及び共にをる者いたく睡氣ざしたれど、目を覺してイエスの榮光および偕に立つ二人を見たり。〘98㌻〙
33 二人の者イエスと別れんとする時、ペテロ、イエスに言ふ『君よ、我らの此處に居るは善し、我ら三つの廬を造󠄃り、一つを汝のため、一つをモーセのため、一つをエリヤの爲にせん』彼は言ふ所󠄃を知らざりき。
34 この事を言ひ居るほどに、雲おこりて彼らを覆ふ。雲の中に入りしとき、弟子たち懼れたり。
35 雲より聲出でて言ふ『これは我が選󠄄びたる子なり、汝ら之に聽け』
36 聲出でし《[*]》とき、唯イエスひとり見え給ふ。弟子たち默して、見し事を何一つ其の頃たれにも吿げざりき。[*或は「聲やみし」と譯す。]
134㌻
37 次の日、山より下りたるに、大なる群衆イエスを迎󠄃ふ。
38 視よ、群衆のうちの或人さけびて言ふ『師よ、願くは我が子を顧󠄃みたまへ、之は我が獨子なり。
39 視よ、靈の憑くときは俄に叫ぶ、痙攣けて沫をふかせ、甚く害󠄅ひ、漸くにして離るるなり。
40 御弟子たちに之を逐󠄃ひ出すことを請󠄃ひたれど、能はざりき』
41 イエス答へて言ひ給ふ『ああ信なき曲れる代なる哉、われ何時まで汝らと偕にをりて、汝らを忍󠄄ばん。汝の子をここに連れ來れ』
42 乃ち來るとき、惡鬼これを打ち倒し、甚く痙攣けさせたり。イエス穢れし靈を禁め、子を醫して、その父󠄃に付したまふ。
43 人々みな神の稜威に驚きあへり。
人々みなイエスの爲し給ひし凡ての事を怪しめる時、イエス弟子たちに言ひ給ふ、
44 『これらの言を汝らの耳にをさめよ。人の子は人々の手に付さるべし』
45 かれら此の言を悟らず、辨へぬやうに隱されたるなり。また此の言につきて問ふことを懼れたり。
46 爰に弟子たちの中に、誰か大ならんとの爭論おこりたれば、
47 イエスその心の爭論を知りて、幼兒をとり御側に置きて言ひ給ふ、
48 『おほよそ我が名のために此の幼兒を受くる者は、我を受くるなり。我を受くる者は、我を遣󠄃しし者を受くるなり。汝らの中にて最も小き者は、これ大なるなり』
49 ヨハネ答へて言ふ『君よ、御名によりて惡鬼を逐󠄃ひいだす者を見しが、我等とともに從はぬ故に、之を止めたり』
50 イエス言ひ給ふ『止むな。汝らに逆󠄃はぬ者は、汝らに附く者なり』
51 イエス天に擧げらるる時滿ちんとしたれば、御顏を堅くエルサレムに向けて進󠄃まんとし、
52 己に先だちて使を遣󠄃したまふ。彼ら徃きてイエスの爲に備をなさんとて、サマリヤ人の或村に入りしに、〘99㌻〙
135㌻
53 村人そのエルサレムに向ひて徃き給ふさまなるが故に、イエスを受けず、
54 弟子のヤコブ、ヨハネ、これを見て言ふ『主よ、我らが《[*]》天より火を呼び下して彼らを滅すことを欲し給ふか』[*諸異本「エリヤの爲しし如く」の句あり。]
55 イエス顧󠄃みて彼らを《[*]》戒め、[*異本「戒めて言ひ給ふ、汝らはおのが心の如何なるかを知らぬなり。人の子は、人の生命を亡さんとにあらで、之を救はんとて來れり」の句あり。]
56 遂󠄅に相共に他の村に徃きたまふ。
57 途󠄃を徃くとき、或人イエスに言ふ『何處に徃き給ふとも我は從はん』
58 イエス言ひたまふ『狐は穴󠄄あり、空󠄃の鳥は塒あり、されど人の子は枕する所󠄃なし』
59 また或人に言ひたまふ『我に從へ』かれ言ふ『まづ徃きて我が父󠄃を葬ることを許し給へ』
60 イエス言ひたまふ『死にたる者に、その死にたる者を葬らせ、汝は徃きて神の國を言ひ弘めよ』
61 また或人いふ『主よ、我なんぢに從はん、されど先づ家の者に別を吿ぐることを許し給へ』
62 イエス言ひたまふ『手を鋤につけてのち後を顧󠄃みる者は、神の國に適󠄄ふ者にあらず』
第10章
1 この事ののち、主、ほかに七十人をあげて、自ら徃かんとする町々處々へ、おのれに先だち二人づつを遣󠄃さんとして言ひ給ふ、
2 『收穫はおほく、勞働人は少し。この故に收穫の主に勞働人をその收穫場に遣󠄃し給はんことを求めよ。
3 徃け、視よ、我なんぢらを遣󠄃すは、羔羊を豺狼のなかに入るるが如し。
4 財布も袋も鞋も携ふな。また途󠄃にて誰にも挨拶すな。
5 孰の家に入るとも、先づ平󠄃安この家にあれと言へ。
6 もし平󠄃安の子、そこに居らば、汝らの祝する平󠄃安はその上に留らん。もし然らずば、其の平󠄃安は汝らに歸らん。
7 その家にとどまりて、與ふる物を食󠄃ひ飮みせよ。勞働人のその値を得るは相應しきなり。家より家に移るな。
136㌻
8 孰の町に入るとも、人々なんぢらを受けなば、汝らの前󠄃に供ふる物を食󠄃し、
9 其處にをる病のものを醫し、また「神の國は汝らに近󠄃づけり」と言へ。
10 孰の町に入るとも、人々なんぢらを受けずば、大路に出でて、
11 「我らの足につきたる汝らの町の塵をも汝らに對して拂ひ棄つ、されど神の國の近󠄃づけるを知れ」と言へ。
12 われ汝らに吿ぐ、かの日にはソドムの方その町よりも耐へ易からん。
13 禍害󠄅なる哉、コラジンよ、禍害󠄅なる哉、ベツサイダよ、汝らの中にて行ひたる能力ある業を、ツロとシドンとにて行ひしならば、彼らは早く荒布をき、灰󠄃のなかに坐して、悔改めしならん。〘100㌻〙
14 されば審判󠄄にはツロとシドンとのかた汝等よりも、耐へ易からん。
15 カペナウムよ、汝は天にまで擧げらるべきか、黄泉にまで下らん。
16 汝等に聽く者は我に聽くなり、汝らを棄つる者は我を棄つるなり。我を棄つる者は我を遣󠄃し給ひし者を棄つるなり』
17 七十人よろこび歸りて言ふ『主よ、汝の名によりて惡鬼すら我らに服󠄃す』
18 イエス彼らに言ひ給ふ『われ天より閃く電光のごとくサタンの落ちしを見たり。
19 視よ、われ汝らに蛇・蠍を踏み、仇の凡ての力を抑ふる權威を授けたれば、汝らを害󠄅ふもの斷えてなからん。
20 然れど靈の汝らに服󠄃するを喜ぶな、汝らの名の天に錄されたるを喜べ』
21 その時イエス聖󠄄靈により喜びて言ひたまふ『天地の主なる父󠄃よ、われ感謝す、此等のことを智きもの慧󠄄き者に隱して嬰兒に顯したまへり。父󠄃よ、然り、此のごときは御意󠄃に適󠄄へるなり。
22 凡ての物は我わが父󠄃より委ねられたり。子の誰なるを知る者は、父󠄃の外になく、父󠄃の誰なるを知る者は、子また子の欲するままに顯すところの者の外になし』
137㌻
23 斯て弟子たちを顧󠄃み窃に言ひ給ふ『なんぢらの見る所󠄃を見る眼は幸福なり。
24 われ汝らに吿ぐ、多くの預言者も、王も、汝らの見るところを見んと欲したれど見ず、汝らの聞く所󠄃を聞かんと欲したれど聞かざりき』
25 視よ、或る敎法師、立ちてイエスを試みて言ふ『師よ、われ永遠󠄄の生命を嗣ぐためには何をなすべきか』
26 イエス言ひたまふ『律法に何と錄したるか、汝いかに讀むか』
27 答へて言ふ『なんぢ心を盡し、精神を盡し、力を盡し、思を盡して、主たる汝の神を愛すべし。また己のごとく汝の隣を愛すべし』
28 イエス言ひ給ふ『なんぢの答は正し。之を行へ、さらば生くべし』
29 彼おのれを義とせんとしてイエスに言ふ『わが隣とは誰なるか』
30 イエス答へて言ひたまふ『或人エルサレムよりエリコに下るとき、强盜にあひしが、强盜どもその衣を剝ぎ、傷を負󠄅はせ、半󠄃死半󠄃生にして棄て去りぬ。
31 或祭司たまたま此の途󠄃より下り、之を見てかなたを過󠄃ぎ徃けり。
32 又󠄂レビ人も此處にきたり、之を見て同じく彼方を過󠄃ぎ徃けり
33 然るに或るサマリヤ人、旅して其の許にきたり、之を見て憫み、
34 近󠄃寄りて油と葡萄酒とを注ぎ傷を包みて己が畜にのせ、旅舍に連れゆきて介抱し、〘101㌻〙
35 あくる日デナリ二つを出し、主人に與へて「この人を介抱せよ。費もし增さば我が歸りくる時に償はん」と言へり。
36 汝いかに思ふか、此の三人のうち、孰か强盜にあひし者の隣となりしぞ』
37 かれ言ふ『その人に憐憫を施したる者なり』イエス言ひ給ふ『なんぢも徃きて其の如くせよ』
38 斯て彼ら進󠄃みゆく間に、イエス或村に入り給へば、マルタと名づくる女おのが家に迎󠄃へ入る。
138㌻
39 その姉妹にマリヤといふ者ありて、イエスの足下に坐し、御言を聽きをりしが、
40 マルタ饗應のこと多くして心いりみだれ、御許に進󠄃みよりて言ふ『主よ、わが姉妹われを一人のこして働かするを、何とも思ひ給はぬか、彼に命じて我を助けしめ給へ』
41 主、答へて言ひ給ふ『マルタよ、マルタよ、汝さまざまの事により、思ひ煩ひて心勞す。
42 されど無くてならぬものは《[*]》多からず、唯一つのみ、マリヤは善きかたを選󠄄びたり。此は彼より奪ふべからざるものなり』[*異本「多からず」の句なし。]
第11章
1 イエス或處にて祈り居給ひしが、その終󠄃りしとき、弟子の一人いふ『主よ、ヨハネの其の弟子に敎へし如く、祈ることを我らに敎へ給へ』
2 イエス言ひ給ふ『なんぢら祈るときに斯く言へ「父󠄃よ、願くは御名の崇められん事を。御國の來らん事を。
3 我ら《[*]》の日用の糧を日每に與へ給へ。[*異本「御心の天のごとく地にも行はれんことを」との句あり。]
4 我らに負󠄅債ある凡ての者を我ら免せば、我らの罪をも免し給へ。我らを嘗試にあはせ給ふな」《[*]》』[*異本「惡より救ひ出したまへ」の句あり。]
5 また言ひ給ふ『なんぢらの中たれか友あらんに、夜半󠄃にその許に徃きて「友よ、我に三つのパンを貸せ。
6 わが友、旅より來りしに、之に供ふべき物なし」と言ふ時、
7 かれ內より答へて「われを煩はすな、戶ははや閉ぢ、子らは我と共に臥所󠄃にあり、起󠄃ちて與へ難し」といふ事ありとも、
8 われ汝らに吿ぐ、友なるによりては起󠄃ちて與へねど、求の切なるにより、起󠄃きて其の要󠄃する程のものを與へん。
9 われ汝らに吿ぐ、求めよ、さらば與へられん。尋󠄃ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん。
10 すべて求むる者は得、尋󠄃ぬる者は見出し、門を叩く者は開かるるなり。
11 汝等のうち父󠄃たる者、たれか其の子、魚を求めんに、《[*]》魚の代に蛇を與へ、[*異本 子と魚との間に「パンな求めんに、石を與へ」の句あり。]
139㌻
12 卵を求めんに蠍を與へんや。
13 さらば汝ら惡しき者ながら、善き賜物をその子らに與ふるを知る。まして天の父󠄃は求むる者に聖󠄄靈を賜はざらんや』
〘102㌻〙
14 さてイエス啞の惡鬼を逐󠄃ひいだし給へば、惡鬼いでて啞、物言ひしにより、群衆あやしめり。
15 其の中の或者ども言ふ『かれは惡鬼の首ベルゼブルによりて惡鬼を逐󠄃ひ出すなり』
16 また或者どもは、イエスを試みんとて天よりの徴を求む。
17 イエスその思を知りて言ひ給ふ『すべて分󠄃れ爭ふ國は亡び、分󠄃れ爭ふ家は倒る。
18 サタンもし分󠄃れ爭はば、その國いかで立つべき。汝等わが惡鬼を逐󠄃ひ出すを、ベルゼブルに由ると言へばなり。
19 我もしベルゼブルによりて、惡鬼を逐󠄃ひ出さば、汝らの子は誰によりて之を逐󠄃ひ出すか。この故に彼らは汝らの審判󠄄人となるべし。
20 然れど我もし神の指によりて、惡鬼を逐󠄃ひ出さば、神の國は旣に汝らに到れるなり。
21 强きもの武具󠄄をよろひて己が屋敷を守るときは、其の所󠄃有、安全󠄃なり。
22 然れど更に强きもの來りて、之に勝󠄃つときは、恃とする武具󠄄をことごとく奪ひて、分󠄃捕物を分󠄃たん。
23 我と偕ならぬ者は我にそむき、我と共に集めぬ者は散すなり。
24 穢れし靈、人を出づる時は、水なき處を巡󠄃りて、休を求む。されど得ずして言ふ「わが出でし家に歸らん」
25 歸りて其の家の掃き淨められ、飾󠄃られたるを見、
26 遂󠄅に徃きて己よりも惡しき他の七つの靈を連れきたり、共に入りて此處に住󠄃む。さればその人の後の狀は、前󠄃よりも惡しくなるなり』
27 此等のことを言ひ給ふとき、群衆の中より或女、聲をあげて言ふ『幸福なるかな、汝を宿しし胎、なんぢの哺ひし乳󠄃房は』
28 イエス言ひたまふ『更に幸福なるかな、神の言を聽きて之を守る人は』
29 群衆おし集れる時、イエス言ひ出でたまふ『今の世は邪曲なる代にして徴を求む。されどヨナの徴のほかに徴は與へられじ。
140㌻
30 ヨナがニネベの人に徴となりし如く、人の子もまた今の代に然らん。
31 南の女王、審判󠄄のとき、今の代の人と共に起󠄃きて、之が罪を定めん。彼はソロモンの智慧󠄄を聽かんとて地の極より來れり。視よ、ソロモンよりも勝󠄃るもの此處にあり。
32 ニネベの人、審判󠄄のとき、今の代の人と共に立ちて之が罪を定めん。彼らはヨナの宣ぶる言によりて悔改めたり。視よ、ヨナよりも勝󠄃るもの此處に在り。
33 誰も燈火をともして、穴󠄄藏の中または升の下におく者なし。入り來る者の光を見んために、燈臺の上に置くなり。
34 汝の身の燈火は目なり、汝の目正しき時は、全󠄃身明るからん。されど惡しき時は、身もまた暗󠄃からん。
35 この故に汝の內の光、闇にはあらぬか、省みよ。〘103㌻〙
36 もし汝の全󠄃身明るくして暗󠄃き所󠄃なくば、輝ける燈火に照さるる如く、その身全󠄃く明るからん』
37 イエスの語り給へるとき、或パリサイ人その家にて《[*]》食󠄃事し給はん事を請󠄃ひたれば、入りて席に著きたまふ。[*或は「ひろげ」と譯す。]
38 食󠄃事前󠄃に手を洗ひ給はぬを、此のパリサイ人見て怪しみたれば、
39 主これに言ひたまふ『今や汝らパリサイ人は、酒杯と盆󠄃との外を潔󠄄くす、然れど汝らの內は貪慾と惡とにて滿つるなり。
40 愚なる者よ、外を造󠄃りし者は、內をも造󠄃りしならずや。
41 唯その內にある物を施せ。さらば、一切の物なんぢらの爲に潔󠄄くなるなり。
42 禍害󠄅なるかな、パリサイ人よ、汝らは薄荷・芸香その他あらゆる野菜の十分󠄃の一を納󠄃めて、公平󠄃と神に對する愛とを等閑にす、然れど之は行ふべきものなり。而して彼もまた等閑にすべきものならず。
43 禍害󠄅なるかな、パリサイ人よ、汝らは會堂の上座、市場にての敬禮を喜ぶ。
141㌻
44 禍害󠄅なるかな、汝らは露れぬ墓のごとし。其の上を步む人これを知らぬなり』
45 敎法師の一人、答へて言ふ『師よ、斯ることを言ふは、我らをも辱しむるなり』
46 イエス言ひ給ふ『なんぢら敎法師も禍害󠄅なる哉。なんぢら擔ひ難き荷を人に負󠄅せて、自ら指一つだに其の荷につけぬなり。
47 禍害󠄅なるかな、汝らは預言者たちの墓を建つ、之を殺しし者は汝らの先祖なり。
48 げに汝らは先祖の所󠄃作を可しとする證人ぞ。それは彼らは之を殺し、汝らは其の墓を建つればなり。
49 この故に神の智慧󠄄、いへる言あり、われ預言者と使徒とを彼らに遣󠄃さんに、その中の或者を殺し、また逐󠄃ひ苦しめん。
50 世の創より流されたる凡ての預言者の血、
51 即ちアベルの血より、祭壇と聖󠄄所󠄃との間にて殺されたるザカリヤの血に至るまでを、今の代に糺すべきなり。然り、われ汝らに吿ぐ、今の代は糺さるべし。
52 禍害󠄅なるかな、敎法師よ、なんぢらは知識の鍵を取り去りて自ら入らず、入らんとする人をも止めしなり』
53 此處より出で給へば、學者・パリサイ人ら烈しく詰め寄せて樣々のことを詰りはじめ、
54 その口より何事をか捉へんと待構へたり。〘104㌻〙
第12章
1 その時、無數の人あつまりて、群衆ふみ合ふばかりなり。イエスまづ弟子たちに言ひ出で給ふ『なんぢら、パリサイ人のパンだねに心せよ、これ僞善なり。
2 蔽はれたるものに露れぬはなく、隱れたるものに知られぬはなし。
3 この故に汝らが暗󠄃きにて言ふことは、明るきにて聞え、部屋の內にて耳によりて語りしことは、屋の上にて宣べらるべし。
142㌻
4 我が友たる汝らに吿ぐ。身を殺して後に何をも爲し得ぬ者どもを懼るな。
5 懼るべきものを汝らに示さん。殺したる後ゲヘナに投げ入るる權威ある者を懼れよ。われ汝らに吿ぐ、げに之を懼れよ。
6 五羽の雀は二錢にて賣るにあらずや、然るに其の一羽だに神の前󠄃に忘れらるる事なし。
7 汝らの頭の髮までもみな數へらる。懼るな、汝らは多くの雀よりも優るるなり。
8 われ汝らに吿ぐ、凡そ人の前󠄃に我を言ひあらはす者を、人の子もまた神の使たちの前󠄃にて言ひあらはさん。
9 されど人の前󠄃にて我を否む者は、神の使たちの前󠄃にて否まれん。
10 凡そ言をもて人の子に逆󠄃ふ者は赦されん。然れど聖󠄄靈を瀆すものは赦されじ。
11 人なんぢらを會堂、或は司、あるひは權威ある者の前󠄃に引きゆかん時、いかに何を答へ、または何を言はんと思ひ煩ふな。
12 聖󠄄靈そのとき言ふべきことを敎へ給はん』
13 群衆のうちの或人いふ『師よ、わが兄弟に命じて、嗣業を我に分󠄃たしめ給へ』
14 之に言ひたまふ『人よ、誰が我を立てて汝らの裁判󠄄人また分󠄃配者とせしぞ』
15 斯て人々に言ひたまふ『愼みて凡ての慳貪をふせげ、人の生命は所󠄃有の豐なるには因らぬなり』
16 また譬を語りて言ひ給ふ『ある富める人、その畑豐に實りたれば、
17 心の中に議りて言ふ「われ如何にせん、我が作物を藏めおく處なし」
18 遂󠄅に言ふ「われ斯く爲さん、わが倉を毀ち、更に大なるものを建てて、其處にわが穀物および善き物をことごとく藏めん。
19 斯てわが《[*]》靈魂に言はん、靈魂よ、多年を過󠄃すに足る多くの善き物を貯へたれば、安んぜよ、飮食󠄃せよ、樂しめよ」[*或は「生命」と譯す。]
20 然るに神かれに「愚なる者よ、今宵󠄃なんぢの靈魂とらるべし、然らば汝の備へたる物は、誰がものとなるべきぞ」と言ひ給へり。
21 己のために財を貯へ、神に對して富まぬ者は、斯のごとし』
143㌻
22 また弟子たちに言ひ給ふ『この故に、われ汝らに吿ぐ、何を食󠄃はんと生命のことを思ひ煩ひ、何を著んと體のことを思ひ煩ふな。
23 生命は糧にまさり、體は衣に勝󠄃るなり。〘105㌻〙
24 鴉を思ひ見よ、播かず、刈らず、納󠄃屋も倉もなし。然るに神は之を養󠄄ひたまふ、汝ら鳥に優るること幾許ぞや。
25 汝らの中たれか思ひ煩ひて、《[*]》身の長一尺を加へ得んや。[*或は「その生命を寸陰も延べ得んや」と譯す。]
26 然れば最小き事すら能はぬに、何ぞ他のことを思ひ煩ふか。
27 百合を《[*]》思ひ見よ、紡がず、織らざるなり。然れど我なんぢらに吿ぐ、榮華を極めたるソロモンだに其の服󠄃裝この花の一つにも及かざりき。[*或は「野の花」と譯す。]
28 今日ありて、明日爐に投げ入れらるる野の草をも、神は斯く裝ひ給へば、况て汝らをや、ああ信仰うすき者よ、
29 なんぢら何を食󠄃ひ、何を飮まんと求むな、また心を動かすな。
30 是みな世の異邦人の切に求むる所󠄃なれど、汝らの父󠄃は此等の物の、なんぢらに必要󠄃なるを知り給へばなり。
31 ただ《[*]》父󠄃の御國を求めよ。さらば此等の物は、なんぢらに加へらるべし。[*異本「神の國」とあり。]
32 懼るな小き群よ、なんぢらに御國を賜ふことは、汝らの父󠄃の御意󠄃なり。
33 汝らの所󠄃有を賣りて施濟をなせ。己がために舊びぬ財布をつくり、盡きぬ財寶を天に貯へよ。かしこは盜人も近󠄃づかず、蟲も壞らぬなり、
34 汝らの財寶のある所󠄃には、汝らの心もあるべし。
35 なんぢら腰に帶し、燈火をともして居れ。
36 主人、婚筵より歸り來りて戶を叩かば、直ちに開くために待つ人のごとくなれ。
37 主人の來るとき、目を覺しをるを見らるる僕どもは幸福なるかな。われ誠に汝らに吿ぐ、主人帶して其の僕どもを食󠄃事の席に就かせ、進󠄃みて給仕すべし。
144㌻
38 主人、夜の半󠄃ごろ若くは夜の明くる頃に來るとも、斯の如くなるを見らるる僕どもは幸福なり。
39 なんぢら之を《[*]》知れ、家主もし盜人いづれの時來るかを知らば、その家を穿たすまじ。[*或は「知る」と譯す。]
40 汝らも備へをれ。人の子は思はぬ時に來ればなり』
41 ペテロ言ふ『主よ、この譬を言ひ給ふは我らにか、また凡ての人にか』
42 主いひ給ふ『主人が時に及びて僕どもに定の糧を與へさする爲に、その僕どもの上に立つる忠實にして慧󠄄き支配人は誰なるか、
43 主人のきたる時、かく爲し居るを見らるる僕は幸福なるかな。
44 われ實をもて汝らに吿ぐ、主人すべての所󠄃有を彼に掌どらすべし。
45 若しその僕、心のうちに主人の來るは遲しと思ひ、僕・婢女をたたき、飮食󠄃して醉ひ始めなば、
46 その僕の主人、おもはぬ日、知らぬ時に來りて、之を《[*]》烈しく笞ち、その報を不忠者と同じうせん。[*烈しく笞うち、或は「挽き斬り」と譯す。]
47 主人の意󠄃を知りながら用意󠄃せず、又󠄂その意󠄃に從はぬ僕は、笞たるること多からん。〘106㌻〙
48 然れど知らずして、打たるべき事をなす者は、笞たるること少からん。多く與へらるる者は、多く求められん。多く人に托くれば、更に多くその人より請󠄃ひ求むべし。
49 我は火を地に投ぜんとて來れり。《[*]》此の火すでに燃えたらんには、我また何をか望󠄇まん。[*或は「われ何をか望󠄇まん、此の火の旣に燃えたらんことなり」と譯す。]
50 されど我には受くべきバプテスマあり。その成し遂󠄅げらるるまでは思ひ逼ること如何許ぞや。
51 われ地に平󠄃和を與へんために來ると思ふか。われ汝らに吿ぐ、然らず、反つて分󠄃爭なり。
52 今より後、一家に五人あらば三人は二人に、二人は三人に分󠄃れ爭はん。
53 父󠄃は子に、子は父󠄃に、母は娘に、娘は母に、姑姆は嫁に、嫁は姑姆に分󠄃れ爭はん』
145㌻
54 イエスまた群衆に言ひ給ふ『なんぢら雲の西より起󠄃るを見れば、直ちに言ふ「急󠄃雨きたらん」と、果して然り。
55 また南風ふけば、汝等いふ「强き暑あらん」と、果して然り。
56 僞善者よ、汝ら天地の氣色を辨ふることを知りて、今の時を辨ふること能はぬは何ぞや。
57 また何故みづから正しき事を定めぬか。
58 なんぢ訴ふる者とともに司に徃くとき、途󠄃にて和解せんことを力めよ。恐らくは訴ふる者、なんぢを審判󠄄人に引きゆき、審判󠄄人なんぢを下役にわたし、下役なんぢを獄に投げ入れん。
59 われ汝に吿ぐ、一レプタも殘りなく償はずば、其處に出づること能はじ』
第13章
1 その折しも或人々きたりてピラトがガリラヤ人らの血を彼らの犧牲にまじへたりし事をイエスに吿げたれば、
2 答へて言ひ給ふ『かのガリラヤ人は斯ることに遭󠄃ひたる故に、凡てのガリラヤ人に勝󠄃れる罪人なりしと思ふか。
3 われ汝らに吿ぐ、然らず、汝らも悔改めずば、皆おなじく亡ぶべし。
4 又󠄂シロアムの櫓たふれて、壓し殺されし十八人は、エルサレムに住󠄃める凡ての人に勝󠄃りて罪の負󠄅債ある者なりしと思ふか。
5 われ汝らに吿ぐ、然らず、汝らも悔改めずば、みな斯のごとく亡ぶべし』
〘107㌻〙
6 又󠄂この譬を語りたまふ『或人おのが葡萄園に植ゑありし無花果の樹に來りて果を求むれども得ずして、
7 園丁に言ふ「視よ、われ三年きたりて此の無花果の樹に果を求むれども得ず。これを伐り倒せ、何ぞ徒らに地を塞ぐか」
8 答へて言ふ「主よ、今年も容したまへ、我その周󠄃圍を掘りて肥料せん。
9 その後、果を結ばば善し、もし結ばずば伐り倒したまへ」』
146㌻
10 イエス安息日に或る會堂にて敎えたまふ時、
11 視よ、十八年のあひだ、病の靈に憑かれたる女あり、屈まりて少しも伸ぶること能はず。
12 イエスこの女を見、呼び寄せて『女よ、なんぢは病より解かれたり』と言ひ、
13 之に手を按きたまへば、立刻に身を直ぐにして神を崇めたり。
14 會堂司イエスの安息日に病を醫し給ひしことを憤ほり、答へて群衆に言ふ『働くべき日は六日あり、その間に來りて醫されよ。安息日には爲ざれ』
15 主こたへて言ひたまふ『僞善者らよ、汝等おのおの安息日には、己が牛または驢馬を小屋より解きいだし、水飼はんとて牽き徃かぬか。
16 さらば長き十八年の間サタンに縛られたるアブラハムの娘なる此の女は、安息日にその繋より解かるべきならずや』
17 イエス此等のことを言ひ給へば、逆󠄃ふ者はみな恥ぢ、群衆は擧りてその爲し給へる榮光ある凡ての業を喜べり。
18 斯てイエス言ひたまふ『神の國は何に似たるか、我これを何に擬へん、
19 一粒の芥種のごとし。人これを取りて己の園に播きたれば、育ちて樹となり、空󠄃の鳥その枝に宿れり』
20 また言ひたまふ『神の國を何に擬へんか、
21 パン種のごとし。女これを取りて、三斗の粉の中に入るれば、ことごとく脹れいだすなり』
22 イエス敎へつつ町々村々を過󠄃ぎて、エルサレムに旅し給ふとき、
23 或人いふ『主よ、救はるる者は少きか』
24 イエス人々に言ひたまふ『力を盡して狹き門より入れ。我なんぢらに吿ぐ、入らん事を求めて入り能はぬ者おほからん。
25 家主おきて門を閉ぢたる後、なんぢら外に立ちて「主よ我らに開き給へ」と言ひつつ門を叩き始めんに、主人こたへて「われ汝らが何處の者なるかを知らず」と言はん。
26 その時「われらは御前󠄃にて飮食󠄃し、なんぢは我らの町の大路にて敎へ給へり」と言ひ出でんに、
147㌻
27 主人こたへて「われ汝らが何處の者なるかを知らず、惡をなす者どもよ、皆われを離れ去れ」と言はん。
28 汝らアブラハム、イサク、ヤコブ及び凡ての預言者の、神の國に居り、己らの逐󠄃ひ出さるるを見ば、其處にて哀哭・切齒する事あらん。〘108㌻〙
29 また人々、東より西より南より北より來りて、神の國の宴に就くべし。
30 視よ、後なる者の先になり、先なる者の後になる事あらん』
31 そのとき或るパリサイ人ら、イエスに來りて言ふ『いでて此處を去り給へ、ヘロデ汝を殺さんとす』
32 答へて言ひ給ふ『徃きてかの狐に言へ。視よ、われ今日明日、惡鬼を逐󠄃ひ出し、病を醫し、而して三日めに全󠄃うせられん。
33 されど今日も明日も次の日も我は進󠄃み徃くべし。それ預言者のエルサレムの外にて死ぬることは有るまじきなり。
34 噫エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、遣󠄃されたる人々を石にて擊つ者よ、牝鷄の己が雛を翼のうちに集むるごとく、我なんぢの子どもを集めんとせしこと幾度ぞや。然れど汝らは好まざりき。
35 視よ、汝らの家は棄てられて汝らに遺󠄃らん。我なんぢらに吿ぐ、「讃むべきかな、主の名によりて來る者」と、汝らの言ふ時の至るまでは、我を見ざるべし』
第14章
1 イエス安息日に食󠄃事せんとて、或るパリサイ人の頭の家に入り給へば、人々これを窺ふ。
2 視よ、御前󠄃に水腫をわづらふ人ゐたれば、
3 イエス答へて敎法師とパリサイ人とに言ひたまふ『安息日に人を醫すことは善しや否や』
4 かれら默然たり。イエスその人を執り、醫して去らしめ、
5 且かれらに言ひ給ふ『なんぢらの中その《[*]》子あるひは其の牛、井に陷らんに、安息日には直ちに之を引揚げぬ者あるか』[*異本「驢馬」とあり。]
6 彼等これに對して物言ふこと能はず。
148㌻
7 イエス招かれたる者の、上席をえらぶを見、譬をかたりて言ひ給ふ、
8 『なんぢ婚筵に招かるるとき、上席に著くな。恐らくは汝よりも貴き人の招かれんに、
9 汝と彼とを招きたる者きたりて「この人に席を讓れ」と言はん。さらば其の時なんぢ恥ぢて末席に徃きはじめん。
10 招かるるとき、寧ろ徃きて末席に著け、さらば招きたる者きたりて「友よ、上に進󠄃め」と言はん。その時なんぢ同席の者の前󠄃に譽あるべし。
11 凡そおのれを高うする者は卑うせられ、己を卑うする者は高うせらるるなり』
12 また己を招きたる者にも言ひ給ふ『なんぢ晝餐󠄃または夕餐󠄃を設くるとき、朋友・兄弟・親族・富める隣人などをよぶな。恐らくは彼らも亦なんぢを招きて報をなさん。
13 饗宴を設くる時は、寧ろ貧󠄃しき者・不具󠄄・跛者・盲人などを招け。〘109㌻〙
14 彼らは報ゆること能はぬ故に、なんぢ幸福なるべし。正しき者の復活の時に報いらるるなり』
15 同席の者の一人これらの事を聞きてイエスに言ふ『おほよそ神の國にて食󠄃事する者は幸福なり』
16 之に言ひたまふ『或人、盛なる夕餐󠄃を設けて、多くの人を招く。
17 夕餐󠄃の時いたりて、招きおきたる者の許に僕を遣󠄃して「來れ、旣に備りたり」と言はしめたるに、
18 皆ひとしく辭りはじむ。初の者いふ「われ田地を買へり。徃きて見ざるを得ず。請󠄃ふ、許されんことを」
19 他の者いふ「われ五耜の牛を買へり、之を驗すために徃くなり。請󠄃ふ、許されんことを」
20 また他も者いふ「われ妻を娶れり、此の故に徃くこと能はず」
21 僕かへりて此等の事をその主人に吿ぐ、家主いかりて僕に言ふ「とく町の大路と小路とに徃きて、貧󠄃しき者・不具󠄄者・盲人・跛者などを此處に連れきたれ」
149㌻
22 僕いふ「主よ、仰のごとく爲したれど、尙ほ餘の席あり」
23 主人、僕に言ふ「道󠄃や籬の邊にゆき、人々を强ひて連れきたり、我が家に充たしめよ。
24 われ汝らに吿ぐ、かの招きおきたる者のうち、一人だに我が夕餐󠄃を味ひ得る者なし」』
25 さて大なる群衆イエスに伴󠄃ひゆきたれば、顧󠄃みて之に言ひたまふ、
26 『人もし我に來りて、その父󠄃母・妻子・兄弟・姉妹・己が生命までも憎まずば、我が弟子となるを得ず。
27 また己が十字架を負󠄅ひて我に從ふ者ならでは、我が弟子と爲るを得ず。
28 汝らの中たれか櫓を築かんと思はば、先づ坐して其の費をかぞへ、己が所󠄃有、竣工までに足るか否かを計らざらんや。
29 然らずして基を据ゑ、もし成就すること能はずば、見る者みな嘲笑ひて、
30 「この人は築きかけて成就すること能はざりき」と言はん。
31 又󠄂いづれの王か出でて他の王と戰爭をせんに、先づ坐して、此の一萬人をもて、かの二萬人を率󠄃ゐきたる者に對ひ得るか否か籌らざらんや。
32 もし及かずば、敵なほ遠󠄄く隔るうちに使を遣󠄃して和睦を請󠄃ふべし。
33 斯のごとく汝らの中その一切の所󠄃有を退󠄃くる者ならでは、我が弟子となるを得ず。
34 鹽は善きものなり、然れど鹽もし效力を失はば、何によりてか味つけられん。
35 土にも肥料にも適󠄄せず、外に棄てらるるなり。聽く耳ある者は聽くべし』〘110㌻〙
第15章
1 取税人・罪人等みな御言を聽かんとて近󠄃寄りたれば、
2 パリサイ人・學者ら呟きて言ふ、『この人は罪人を迎󠄃へて食󠄃を共にす』
150㌻
3 イエス之に譬を語りて言ひ給ふ、
4 『なんぢらの中たれか百匹の羊を有たんに、若その一匹を失はば、九十九匹を野におき、徃きて失せたる者を見出すまでは尋󠄃ねざらんや。
5 遂󠄅に見出さば、喜びて之を己が肩にかけ、
6 家に歸りて其の友と隣人とを呼び集めて言はん「我とともに喜べ、失せたる我が羊を見出せり」
7 われ汝らに吿ぐ、斯のごとく悔改むる一人の罪人のためには、悔改の必要󠄃なき九十九人の正しき者にも勝󠄃りて、天に歡喜あるべし。
8 又󠄂いづれの女か銀貨十枚を有たんに、若しその一枚を失はば、燈火をともし、家を掃きて見出すまでは懇ろに尋󠄃ねざらんや。
9 遂󠄅に見出さば、其の友と隣人とを呼び集めて言はん、「我とともに喜べ、わが失ひたる銀貨を見出せり」
10 われ汝らに吿ぐ、斯のごとく悔改むる一人の罪人のために、神の使たちの前󠄃に歡喜あるべし』
11 また言ひたまふ『或人に二人の息子あり、
12 おとうと父󠄃に言ふ「父󠄃よ、財產のうち我が受くべき分󠄃を我にあたへよ」父󠄃その身代を二人に分󠄃けあたふ。
13 幾日も經ぬに、弟おのが物をことごとく集めて、遠󠄄國にゆき、其處にて放蕩にその財產を散せり。
14 ことごとく費したる後、その國に大なる饑饉おこり、自ら乏しくなり始めたれば、
15 徃きて其の地の或人に依附りしに、其の人かれを畑に遣󠄃して豚を飼はしむ。
16 かれ豚の食󠄃ふ蝗豆にて、己が腹を充さんと思ふ程なれど何をも與ふる人なかりき。
17 此のとき我に反りて言ふ『わが父󠄃の許には食󠄃物あまれる雇人いくばくぞや、然るに我は飢󠄄ゑてこの處に死なんとす。
18 起󠄃ちて我が父󠄃にゆき「父󠄃よ、われは天に對し、また汝の前󠄃に罪を犯したり。
19 今より汝の子と稱へらるるに相應しからず、雇人の一人のごとく爲し給へ』と言はん」
151㌻
20 乃ち起󠄃ちて其の父󠄃のもとに徃く。なほ遠󠄄く隔りたるに、父󠄃これを見て憫み、走りゆき、其の頸を抱きて接吻せり。
21 子、父󠄃にいふ「父󠄃よ、我は天に對し又󠄂なんぢの前󠄃に罪を犯したり。今より汝の子と稱へらるるに相應しからず」
22 然れど父󠄃、僕どもに言ふ「とくとく最上の衣を持ち來りて之に著せ、その手に指輪をはめ、其の足に鞋をはかせよ。
23 また肥えたる犢を牽ききたりて屠れ、我ら食󠄃して樂しまん。〘111㌻〙
24 この我が子、死にて復生き、失せて復得られたり」斯て、かれら樂しみ始む。
25 然るに其の兄、畑にありしが、歸りて家に近󠄃づきたるとき、音󠄃樂と舞踏との音󠄃を聞き、
26 僕の一人を呼びてその何事なるかを問ふ。
27 答へて言ふ「なんぢの兄弟、歸りたり、その恙なきを迎󠄃へたれば、汝の父󠄃、肥えたる犢を屠れるなり」
28 兄、怒りて內に入ることを好まざりしかば、父󠄃いでて勸めしに、
29 答へて父󠄃に言ふ「視よ、我は幾歳も、なんぢに仕へて、未だ汝の命令に背きし事なきに、我には小山羊一匹だに與へて友と樂しましめし事なし。
30 然るに遊󠄃女らと共に、汝の身代を食󠄃ひ盡したる此の汝の子、歸り來れば、之がために肥えたる犢を屠れり」
31 父󠄃いふ「子よ、なんぢは常に我とともに在り、わが物は皆なんぢの物なり。
32 然れど此の汝の兄弟は死にて復生き、失せて復得られたれば、我らの樂しみ喜ぶは當然なり」』
第16章
1 イエスまた弟子たちに言ひ給ふ『或富める人に一人の支配人あり、主人の所󠄃有を費しをりと訴へられたれば、
2 主人かれを呼びて言ふ「わが汝につきて聞く所󠄃は、これ何事ぞ、務の報吿をいだせ、汝こののち支配人たるを得じ」
3 支配人、心のうちに言ふ「如何せん、主人わが職を奪ふ。われ土掘るには力なく、物乞ふは恥かし。
152㌻
4 我なすべき事こそ知りたれ、斯く爲ば職を罷めらるるとき、人々その家に我を迎󠄃ふるならん」とて、
5 主人の負󠄅債者を一人一人呼びよせて、初の者に言ふ「なんぢ我が主人より負󠄅ふところ何程あるか」
6 答へて言ふ「油、百樽」支配人いふ「なんぢの證書をとり、早く坐して五十と書け」
7 又󠄂ほかの者に言ふ「負󠄅ふところ何程あるか」答へて言ふ「麥、百石」支配人いふ「なんぢの證書をとりて八十と書け」
8 爰に主人、不義なる支配人の爲しし事の巧なるによりて、彼を譽めたり。この世の子らは、己が時代の事には、光の子らよりも巧なり。
9 われ汝らに吿ぐ、不義の富をもて、己がために友をつくれ。さらば富の失する時、その友なんぢらを永遠󠄄の住󠄃居に迎󠄃へん。
10 小事に忠なる者は大事にも忠なり。小事に不忠なる者は大事にも不忠なり。
11 然らば汝等もし不義の富に忠ならずば、誰か眞の富を汝らに任すべき。
12 また汝等もし人のものに忠ならずば、誰か汝等のものを汝らに與ふべき。
13 僕は二人の主に兼󠄄事ふること能はず、或は之を憎み彼を愛し、或は之に親しみ彼を輕しむべければなり。汝ら神と富とに兼󠄄事ふること能はず』
〘112㌻〙
14 爰に慾深きパリサイ人等この凡ての事を聞きてイエスを嘲笑ふ。
15 イエス彼らに言ひ給ふ『なんぢらは人のまへに己を義とする者なり。然れど神は汝らの心を知りたまふ。人のなかに尊󠄅ばるる者は、神のまへに憎まるる者なり。
16 律法と預言者とは、ヨハネまでなり、その時より神の國は宣傳へられ、人みな烈しく攻めて之に入る。
17 されど律法の一畫の落つるよりも天地の過󠄃ぎ徃くは易し。
18 凡てその妻を出して、他に娶る者は、姦淫を行ふなり。また夫より出されたる女を娶る者も姦淫を行ふなり。
153㌻
19 或る富める人あり、紫色の衣と細布とを著て、日々奢り樂しめり。
20 又󠄂ラザロといふ貧󠄃しき者あり、腫物にて腫れただれ、富める人の門に置かれ、
21 その食󠄃卓より落つる物にて飽󠄄かんと思ふ。而して犬ども來りて其の腫物を舐れり。
22 遂󠄅にこの貧󠄃しきもの死に、御使たちに携へられてアブラハムの懷裏に入れり。富める人もまた死にて葬られしが、
23 黄泉にて苦惱の中より目を擧げて遙にアブラハムと其の懷裏にをるラザロとを見る。
24 乃ち呼びて言ふ「父󠄃アブラハムよ、我を憐みて、ラザロを遣󠄃し、その指の先を水に浸して我が舌を冷させ給へ、我はこの焰のなかに悶ゆるなり」
25 アブラハム言ふ「子よ、憶へ、なんぢは生ける間、なんぢの善き物を受け、ラザロは惡しき物を受けたり。今ここにて彼は慰められ、汝は悶ゆるなり。
26 然のみならず此處より汝らに渡り徃かんとすとも得ず、其處より我らに來り得ぬために、我らと汝らとの間に大なる淵定めおかれたり」
27 富める人また言ふ「さらば父󠄃よ、願くは我が父󠄃の家にラザロを遣󠄃したまへ。
28 我に五人の兄弟あり、この苦痛のところに來らぬやう、彼らに證せしめ給へ」
29 アブラハム言ふ「彼らにはモーセと預言者とあり、之に聽くべし」
30 富める人いふ「いな父󠄃アブラハムよ、もし死人の中より彼らに徃く者あらば、悔改めん」
31 アブラハム言ふ「もしモーセと預言者とに聽かずば、たとひ死人の中より甦へる者ありとも、其の勸を納󠄃れざるべし」』
第17章
1 イエス弟子たちに言ひ給ふ『躓物は必ず來らざるを得ず、されど之を來らす者は禍害󠄅なるかな。
2 この小き者の一人を躓かするよりは、寧ろ碾臼の石を頸に懸けられて、海に投げ入れられんかた善きなり。
154㌻
3 汝等みづから心せよ。もし汝の兄弟、罪を犯さば、これを戒めよ。もし悔改めなば之をゆるせ。〘113㌻〙
4 もし一日に七度なんぢに罪を犯し、七度「くい改む」と言ひて、汝に歸らば之をゆるせ』
5 使徒たち主に言ふ『われらの信仰を增したまへ』
6 主いひ給ふ『もし芥種一粒ほどの信仰あらば、此の《[*]》桑の樹に「拔けて、海に植れ」と言ふとも汝らに從ふべし。[*原語「スカミノ」]
7 汝等のうち誰か或は耕し、或は牧する僕を有たんに、その僕、畑より歸りたる時、これに對ひて「直ちに來り食󠄃に就け」と言ふ者あらんや。
8 反つて「わが夕餐󠄃の備をなし、我が飮食󠄃するあひだ、帶して給仕せよ、然る後に、なんぢ飮食󠄃すべし」と言ふにあらずや。
9 僕、命ぜられし事を爲したればとて、主人これに謝すべきか。
10 斯のごとく汝らも命ぜられし事をことごとく爲したる時「われらは無益なる僕なり、爲すべき事を爲したるのみ」と言へ』
11 イエス、エルサレムに徃かんとて、サマリヤとガリラヤとの間をとほり、
12 或村に入り給ふとき、十人の癩病人これに遇󠄃ひて、遙に立ち止まり、
13 聲を揚げて言ふ『君イエスよ、我らを憫みたまへ』
14 イエス之を見て言ひたまふ『なんぢら徃きて身を祭司らに見せよ』彼ら徃く間に潔󠄄められたり。
15 その中の一人、おのが醫されたるを見て、大聲に神を崇めつつ歸りきたり、
16 イエスの足下に平󠄃伏して謝す。これはサマリヤ人なり。
17 イエス答へて言ひたまふ『十人みな潔󠄄められしならずや、九人は何處に在るか。
18 この他國人のほかは、神に榮光を歸せんとて歸りきたる者なきか』
19 斯て之に言ひたまふ『起󠄃ちて徃け、なんぢの信仰なんぢを救へり』
20 神の國の何時きたるべきかをパリサイ人に問はれし時、イエス答へて言ひたまふ『神の國は見ゆべき狀にて來らず。
155㌻
21 また「視よ、此處に在り」「彼處に在り」と人々言はざるべし。視よ、神の國は汝らの中に在るなり』
22 かくて弟子たちに言ひ給ふ『なんぢら人の子の日の一日を見んと思ふ日きたらん、然れど見ることを得じ。
23 そのとき、人々なんぢらに「見よ彼處に、見よ此處に」と言はん、然れど徃くな、從ふな。
24 それ電光の天の彼方より閃きて、天の此方に輝くごとく、人の子もその日には然あるべし。
25 然れど人の子は先づ多くの苦難を受け、かつ今の代に棄てらるべきなり。
26 ノアの日にありし如く、人の子の日にも然あるべし。
27 ノア方舟に入る日までは、人々飮み食󠄃ひ娶り嫁ぎなど爲たりしが、洪水きたりて彼等をことごとく滅せり。〘114㌻〙
28 ロトの日にも斯のごとく、人々飮み食󠄃ひ、賣り買ひ、植ゑつけ、家造󠄃りなど爲たりしが、
29 ロトのソドムを出でし日に、天より火と硫黄と降りて、彼等をことごとく滅せり。
30 人の子の顯るる日にも、その如くなるべし。
31 その日には人もし屋の上にをりて、器物、家の內にあらば、之を取らんとて下るな。畑にをる者も同じく歸るな。
32 ロトの妻を憶へ。
33 おほよそ己が生命を全󠄃うせんとする者は、これを失ひ、失ふ者は、これを保つべし。
34 われ汝らに吿ぐ、その夜ふたりの男、一つ寢臺に居らんに、一人は取られ、一人は遣󠄃されん。
35 二人の女ともに臼ひき居らんに、一人は取られ、一人は遣󠄃されん』
36 [なし]《[*]》[*異本「二人の男畑に居らんに、一人は取られ、一人は遺󠄃されん」との句あり。]
37 弟子たち答へて言ふ『主よ、それは何處ぞ』イエス言ひたまふ『屍體のある處には《[*]》鷲も亦あつまらん』[*或は「兀鷹」と譯す。]
第18章
1 また彼らに落膽せずして常に祈るべきことを、譬にて語り言ひ給ふ
2 『或町に神を畏れず、人を顧󠄃みぬ裁判󠄄人あり。
156㌻
3 その町に寡婦󠄃ありて、屡次その許にゆき「我がために仇を審きたまへ」と言ふ。
4 かれ久しく聽き入れざりしが、其ののち心の中に言ふ「われ神を畏れず、人を顧󠄃みねど、
5 此の寡婦󠄃われを煩はせば、我かれが爲に審かん、然らずば絕えず來りて我を惱さん」と』
6 主いひ給ふ『不義なる裁判󠄄人の言ふことを聽け、
7 まして神は夜晝よばはる選󠄄民のために、縱ひ遲くとも遂󠄅に審き給はざらんや。
8 我なんぢらに吿ぐ、速󠄃かに審き給はん。然れど人の子の來るとき地上に信仰を見んや』
9 また己を義と信じ、他人を輕しむる者どもに此の譬を言ひたまふ、
10 『二人のもの祈らんとて宮にのぼる、一人はパリサイ人、ひとりは取税人なり。
11 パリサイ人、たちて心の中に斯く祈る「神よ、我はほかの人の、强奪・不義・姦淫するが如き者ならず、又󠄂この取税人の如くならぬを感謝す。
12 我は一週󠄃のうちに二度斷食󠄃し、凡て得るものの十分󠄃の一を獻ぐ」
13 然るに取税人は遙に立ちて、目を天に向くる事だにせず、胸を打ちて言ふ「神よ、罪人なる我を憫みたまへ」
14 われ汝らに吿ぐ、この人は、かの人よりも義とせられて、己が家に下り徃けり。おほよそ己を高うする者は卑うせられ、己を卑うする者は高うせらるるなり』
〘115㌻〙
15 イエスの觸り給はんことを望󠄇みて、人々嬰兒らを連れ來りしに、弟子たち之を見て禁めたれば、
16 イエス幼兒らを呼びよせて言ひたまふ『幼兒らの我に來るを許して止むな、神の國は斯のごとき者の國なり。
17 われ誠に汝らに吿ぐ、おほよそ幼兒のごとくに、神の國をうくる者ならずば、之に入ることは能はず』
157㌻
18 或司、問ひて言ふ『善き師よ、われ何をなして永遠󠄄の生命を嗣ぐべきか』
19 イエス言ひ給ふ『なにゆゑ我を善しと言ふか、神ひとりの他に善き者なし。
20 誡命は、なんぢが知る所󠄃なり「姦淫するなかれ」「殺すなかれ」「盜むなかれ」「僞證を立つる勿れ」「なんぢの父󠄃と母とを敬へ」』
21 彼いふ『われ幼き時より皆これを守れり』
22 イエス之をききて言ひたまふ『なんぢなほ足らぬこと一つあり、汝の有てる物を、ことごとく賣りて貧󠄃しき者に分󠄃ち與へよ、然らば財寶を天に得ん。かつ來りて我に從へ』
23 彼は之をききて甚く悲しめり、大に富める者なればなり。
24 イエス之を見て言ひたまふ『富める者の神の國に入るは如何に難いかな。
25 富める者の神の國に入るよりは、駱駝の針の穴󠄄をとほるは反つて易し』
26 之をきく人々いふ『さらば誰か救はるる事を得ん』
27 イエス言ひたまふ『人のなし得ぬところは、神のなし得る所󠄃なり』
28 ペテロ言ふ『視よ我等わが《[*]》物をすてて汝に從へり』[*或は「我が家」と譯す。]
29 イエス言ひ給ふ『われ誠に汝らに吿ぐ、神の國のために、或は家、或は妻、或は兄弟、あるひは兩親、あるひは子を棄つる者は、誰にても、
30 今の時に數倍を受け、また後の世にて、永遠󠄄の生命を受けぬはなし』
31 イエス十二弟子を近󠄃づけて言ひたまふ『視よ、我らエルサレムに上る。人の子につき預言者たちによりて錄されたる凡ての事は、成し遂󠄅げらるべし。
32 人の子は異邦人に付され、嘲弄せられ、辱しめられ、唾せられん。
33 彼等これを鞭うち、かつ殺さん。斯て彼は三日めに甦へるべし』
34 弟子たち此等のことを一つだに悟らず、此の言かれらに隱れたれば、その言ひ給ひしことを知らざりき。
158㌻
35 イエス、エリコに近󠄃づき給ふとき、一人の盲人、路の傍らに坐して、物乞ひ居たりしが、
36 群衆の過󠄃ぐるを聞きて、その何事なるかを問ふ。
37 人々ナザレのイエスの過󠄃ぎたまふ由を吿げたれば、
38 盲人、呼はりて言ふ『ダビデの子イエスよ、我を憫みたまへ』
39 先だち徃く者ども、彼を禁めて默さしめんと爲たれど、增々さけびて言ふ『ダビデの子よ、我を憫みたまへ』〘116㌻〙
40 イエス立ち止り盲人を連れ來るべきことを命じ給ふ。かれ近󠄃づきたれば、
41 イエス問ひ給ふ『わが汝に何を爲さんことを望󠄇むか』彼いふ『主よ、見えんことなり』
42 イエス彼に『見ることを得よ、なんぢの信仰なんぢを救へり』と言ひ給へば、
43 立刻に見ることを得、神を崇めてイエスに從ふ。民みな之を見て神を讃美せり。
第19章
1 エリコに入りて過󠄃ぎゆき給ふとき、
2 視よ、名をザアカイといふ人あり、取税人の長にて富める者なり。
3 イエスの如何なる人なるかを見んと思へど、丈矮うして群衆のために見ること能はず、
4 前󠄃に走りゆき、《[*]》桑の樹にのぼる。イエスその路を過󠄃ぎんとし給ふ故なり。[*原語「スカモラ」]
5 イエス此處に至りしとき、仰ぎ見て言ひたまふ『ザアカイ、急󠄃ぎおりよ、今日われ汝の家に宿るべし』
6 ザアカイ急󠄃ぎおり、喜びてイエスを迎󠄃ふ。
7 人々みな之を見て呟きて言ふ『かれは罪人の家に入りて客となれり』
8 ザアカイ立ちて主に言ふ『主、視よ、わが所󠄃有の半󠄃を貧󠄃しき者に施さん、若し、われ誣ひ訴へて人より取りたる所󠄃あらば、四倍にして償はん』
9 イエス言ひ給ふ『けふ救はこの家に來れり、此の人もアブラハムの子なればなり。
10 それ人の子の來れるは、失せたる者を尋󠄃ねて救はん爲なり』
159㌻
11 人々これらの事を聽きゐたるとき、譬を加へて言ひ給ふ。これはイエス、エルサレムに近󠄃づき給ひ、神の國たちどころに現るべしと彼らが思ふ故なり。
12 乃ち言ひたまふ『或る貴人、王の權を受けて歸らんとて遠󠄄き國へ徃くとき、
13 十人の僕をよび、之に金十ミナを付して言ふ「わが歸るまで商賣せよ」
14 然るに其の地の民かれを憎み、後より使を遣󠄃して「我らは此の人の我らの王となることを欲せず」と言はしむ。
15 貴人、王の權をうけて歸り來りしとき、銀を付し置きたる僕どもの、如何に商賣せしかを知らんとて彼らを呼ばしむ。
16 初のもの進󠄃み出でて言ふ「主よ、なんぢの一ミナは十ミナを贏けたり」
17 王いふ「善いかな、良き僕、なんぢは小事に忠なりしゆゑ、十の町を司どるべし」
18 次の者きたりて言ふ「主よ、なんぢの一ミナは五ミナを贏けたり」
19 王また言ふ「なんぢも五つの町を司どるべし」
20 また一人きたりて言ふ「主、視よ、なんぢの一ミナは此處に在り。我これを袱紗に包みて藏め置きたり。〘117㌻〙
21 これ汝の嚴しき人なるを懼れたるに因る。なんぢは置かぬものを取り、播かぬものを刈るなり」
22 王いふ「惡しき僕、われ汝の口によりて汝を審かん。我の嚴しき人にて、置かぬものを取り、播かぬものを刈るを知るか。
23 何ぞわが金を銀行に預けざりし、然らば我きたりて元金と利子とを請󠄃求せしものを」
24 斯て傍らに立つ者どもに言ふ「かれの一ミナを取りて十ミナを有てる人に付せ」
25 彼等いふ「主よ、かれは旣に十ミナを有てり」
26 「われ汝らに吿ぐ、凡て有てる人はなほ與へられ、有たぬ人は有てるものをも取らるべし。
27 而して我が王たる事を欲せぬ、かの仇どもを、此處に連れきたり我が前󠄃にて殺せ」』
28 イエス此等のことを言ひてのち、先だち進󠄃みてエルサレムに上り給ふ。
160㌻
29 オリブといふ山の麓なるベテパゲ及びベタニヤに近󠄃づきし時、イエス二人の弟子を遣󠄃さんとして言ひ給ふ、
30 『向ひの村にゆけ、其處に入らば一度も人の乘りたる事なき驢馬の子の繋ぎあるを見ん、それを解きて牽ききたれ。
31 誰かもし汝らに「なにゆゑ解くか」と問はば、斯く言ふべし「主の用なり」と』
32 遣󠄃されたる者ゆきたれば、果して言ひ給ひし如くなるを見る。
33 かれら驢馬の子をとく時、その持主ども言ふ『なにゆゑ驢馬の子を解くか』
34 答へて言ふ『主の用なり』
35 かくて驢馬の子をイエスの許に牽ききたり、己が衣をその上にかけて、イエスを乘せたり。
36 その徃き給ふとき、人々おのが衣を途󠄃に敷く。
37 オリブ山の下りあたりまで近󠄃づき來り給へば、群れゐる弟子等みな喜びて、その見しところの能力ある御業につき、聲高らかに神を讃美して言ひ始む、
38 『讃むべきかな、主の名によりて來る王。天には平󠄃和、至高き處には榮光あれ』
39 群衆のうちの或るパリサイ人ら、イエスに言ふ『師よ、なんぢの弟子たちを禁めよ』
40 答へて言ひ給ふ『われ汝らに吿ぐ、此のともがら默さば、石叫ぶべし』
41 旣に近󠄃づきたるとき、都を見やり、之がために泣きて言ひ給ふ、
42 『ああ汝、なんぢも若しこの日の間に平󠄃和にかかはる事を知りたらんには――然れど今なんぢの目に隱れたり。
43 日きたりて敵なんぢの周󠄃圍に壘をきづき、汝を取圍みて四方より攻め、
44 汝と、その內にある子らとを地に打倒し、一つの石をも石の上に遺󠄃さざるべし。なんぢ眷顧󠄃の時を知らざりしに因る』〘118㌻〙
45 斯て宮に入り、商ひする者どもを逐󠄃ひ出しはじめ、
46 之に言ひたまふ『「わが家は祈の家たるべし」と錄されたるに、汝らは之を强盜の巢となせり』
161㌻
47 イエス日々宮にて敎へたまふ。祭司長・學者ら及び民の重立ちたる者ども之を殺さんと思ひたれど、
48 民みな耳を傾けて、イエスに聽きたれば爲すべき方を知らざりき。
第20章
1 或日イエス宮にて民を敎へ、福音󠄃を宣べゐ給ふとき、祭司長・學者らは、長老どもと共に近󠄃づき來り、
2 イエスに語りて言ふ『なにの權威をもて此等の事をなすか、此の權威を授けし者は誰か、我らに吿げよ』
3 答へて言ひ給ふ『われも一言なんぢらに問はん、答へよ。
4 ヨハネのバプテスマは天よりか、人よりか』
5 彼ら互に論じて言ふ『もし「天より」と言はば「なに故かれを信ぜざりし」と言はん。
6 もし「人より」と言はんか、民みなヨハネを預言者と信ずるによりて我らを石にて擊たん』
7 遂󠄅に何處よりか知らぬ由を答ふ。
8 イエス言ひたまふ『われも何の權威をもて此等の事をなすか、汝らに吿げじ』
9 斯て次の譬を民に語りいで給ふ『ある人、葡萄園を造󠄃りて農夫どもに貸し、遠󠄄く旅立して久しくなりぬ。
10 時至りて、葡萄園の所󠄃得を納󠄃めしめんとて、一人の僕を農夫の許に遣󠄃ししに農夫ども之を打ちたたき、空󠄃手にて歸らしめたり。
11 又󠄂ほかの僕を遣󠄃ししに、之をも打ちたたき辱しめ、空󠄃手にて歸らしめたり。
12 なほ三度めの者を遣󠄃ししに、之をも傷つけて逐󠄃ひ出したり。
13 葡萄園の主いふ「われ何を爲さんか。我が愛しむ子を遣󠄃さん、或は之を敬ふなるべし」
14 農夫ども之を見て互に論じて言ふ「これは世嗣なり。いざ殺して其の嗣業を我らの物とせん」
15 斯てこれを葡萄園の外に逐󠄃ひ出して殺せり。さらば葡萄園の主、かれらに何を爲さんか、
16 來りてかの農夫どもを亡し、葡萄園を他の者どもに與ふべし』人々これを聽きて言ふ『然はあらざれ』
162㌻
17 イエス彼らに目を注めて言ひ給ふ『されば 「造󠄃家者らの棄てたる石は、 これぞ隅の首石となれる」と錄されたるは何ぞや。
18 凡そその石の上に倒るる者は碎け、又󠄂その石、人の上に倒るれば、その人を微塵にせん』
〘119㌻〙
19 此のとき學者・祭司長ら、イエスに手をかけんと思ひたれど、民を恐れたり。この譬の己どもを指して言ひ給へるを悟りしに因る。
20 かくて彼ら機を窺ひ、イエスを司の支配と權威との下に付さんとて、その言を捉ふるために義人の樣したる間諜どもを遣󠄃したれば、
21 其の者どもイエスに問ひて言ふ『師よ、我らは汝の正しく語り、かつ敎へ、外貌を取らず、眞をもて神の道󠄃を敎へ給ふを知る。
22 われら貢をカイザルに納󠄃むるは、善きか、惡しきか』
23 イエスその惡巧を知りて言ひ給ふ、
24 『デナリを我に見せよ。これは誰の像、たれの號なるか』『カイザルのなり』と答ふ。
25 イエス言ひ給ふ『さらばカイザルの物はカイザルに、神の物は神に納󠄃めよ』
26 かれら民の前󠄃にて其の言をとらへ得ず、且その答を怪しみて默したり。
27 また復活なしと言ひ張るサドカイ人の或者ども、イエスに來り問ひて言ふ、
28 『師よ、モーセは人の兄弟、もし妻あり、子なくして死なば、其の兄弟かれの妻を娶りて、兄弟のために嗣子を擧ぐべしと、我らに書き遣󠄃したり。
29 さて茲に七人の兄弟ありて、兄、妻を娶り、子なくして死に、
30 第二、第三の者も之を娶り、
31 七人みな同じく子を殘さずして死に、
32 後には其の女も死にたり。
33 されば復活の時、この女は誰の妻たるべきか、七人これを妻としたればなり』
163㌻
34 イエス言ひ給ふ『この世の子らは娶り嫁ぎすれど、
35 かの世に入るに、死人の中より甦へるに、相應しと爲らるる者は、娶り嫁ぎすることなし。
36 彼等ははや死ぬること能はざればなり。御使たちに等しく、また復活の子どもにして、神の子供たるなり。
37 死にたる者の甦へる事は、モーセも柴の條に、主を「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と呼びて之を示せり。
38 神は死にたる者の神にあらず、生ける者の神なり。それ神の前󠄃には皆生けるなり』
39 學者のうちの或者ども答へて『師よ、善く言ひ給へり』と言ふ。
40 彼等ははや、何事をも問ひ得ざりし故なり。
41 イエス彼らに言ひたまふ『如何なれば人々、キリストをダビデの子と言ふか。
42 ダビデ自ら詩篇に言ふ、 「主わが主に言ひたまふ、
43 われ汝の敵を汝の足臺となすまでは、 わが右に坐せよ」
44 ダビデ斯く彼を主と稱ふれば、爭でその子ならんや』
〘120㌻〙
45 民の皆ききをる中にて、イエス弟子たちに言ひ給ふ、
46 『學者らに心せよ。彼らは長き衣を著て步むことを好み、市場にての敬禮、會堂の上座、饗宴の上席を喜び、
47 また寡婦󠄃らの家を呑み、外見をつくりて長き祈をなす。其の受くる審判󠄄は更に嚴しからん』
第21章
1 イエス目を擧げて、富める人々の納󠄃物を、賽錢函に投げ入るるを見、
2 また或る貧󠄃しき寡婦󠄃のレプタ二つを投げ入るるを見て言ひ給ふ、
3 『われ實をもて汝らに吿ぐ、この貧󠄃しき寡婦󠄃は、凡ての人よりも多く投げ入れたり。
164㌻
4 彼らは皆その豐なる內より納󠄃物の中に投げ入れ、この寡婦󠄃はその乏しき中より、己が有てる生命の料をことごとく投げ入れたればなり』
5 或る人々、美麗なる石と獻物とにて宮の飾󠄃られたる事を語りしに、イエス言ひ給ふ、
6 『なんぢらが見る此等の物は、一つの石も崩󠄃されずして石の上に殘らぬ日きたらん』
7 彼ら問ひて言ふ『師よ、さらば此等のことは何時あるか、又󠄂これらの事の成らんとする時は如何なる兆あるか』
8 イエス言ひ給ふ『なんぢら惑されぬように心せよ、多くの者わが名を冐し來り「われは夫なり」と言ひ「時は近󠄃づけり」と言はん、彼らに從ふな。
9 戰爭と騷亂との事を聞くとき、怖づな。斯ることは先づあるべきなり。然れど終󠄃は直ちに來らず』
10 また言ひたまふ『「民は民に、國は國に逆󠄃ひて起󠄃たん」
11 かつ大なる地震あり、處々に疫病・饑饉あらん。懼るべき事と天よりの大なる兆とあらん。
12 すべて此等のことに先だちて、人々なんぢらに手をくだし、汝らを責めん、即ち汝らを會堂および獄に付し、わが名のために王たち司たちの前󠄃に曵きゆかん。
13 これは汝らに證の機とならん。
14 然れば汝ら如何に答へんと預じめ思慮るまじき事を心に定めよ。
15 われ汝らに凡て逆󠄃ふ者の、言ひ逆󠄃ひ、言ひ消󠄃すことをなし得ざる口と智慧󠄄とを與ふべければなり。
16 汝らは兩親・兄弟・親族・朋友にさへ付されん。又󠄂かれらは汝らの中の或者を殺さん。
17 汝等わが名の故に凡ての人に憎まるべし。
18 然れど汝らの頭の髮一すぢだに失せじ。
19 汝らは忍󠄄耐によりて其の《[*]》靈魂を得べし。[*或は「生命」と譯す。]
165㌻
20 汝らエルサレムが軍勢に圍まるるを見ば、その亡近󠄃づけりと知れ。
21 その時ユダヤに居る者どもは山に遁れよ、都の中にをる者どもは出でよ、田舍にをる者どもは都に入るな、
22 これ錄されたる凡ての事の遂󠄅げらるべき刑罰の日なり。〘121㌻〙
23 その日には孕りたる者と、乳󠄃を哺する者とは禍害󠄅なるかな。地に大なる艱難ありて、御怒この民に臨み、
24 彼らは劍の刃󠄃に斃れ、又󠄂は捕はれて諸國に曵かれん。而してエルサレムは異邦人の時滿つるまで、異邦人に蹂躪らるべし。
25 また日・月・星に兆あらん。地にては國々の民なやみ、海と濤との鳴り轟くによりて狼狽へ、
26 人々おそれ、かつ世界に來らんとする事を思ひて膽を失はん。これ天の萬象、震ひ動けばなり。
27 其のとき人々、人の子の能力と大なる榮光とをもて、雲に乘りきたるを見ん。
28 これらの事起󠄃り始めなば、仰ぎて首を擧げよ。汝らの贖罪、近󠄃づけるなり』
29 また譬を言ひたまふ『無花果の樹、また凡ての樹を見よ、
30 旣に芽せば、汝等これを見てみづから夏の近󠄃きを知る。
31 斯のごとく此等のことの起󠄃るを見ば、神の國の近󠄃きを知れ。
32 われ誠に汝らに吿ぐ、これらの事ことごとく成るまで、今の代は過󠄃ぎゆくことなし。
33 天地は過󠄃ぎゆかん、然れど我が言は過󠄃ぎゆくことなし。
34 汝等みづから心せよ、恐らくは飮食󠄃にふけり、世の煩勞にまとはれて心鈍り、思ひがけぬ時、かの日羂のごとく來らん。
35 これは徧く地の面に住󠄃める凡ての人に臨むべきなり。
36 この起󠄃るべき凡ての事をのがれ、人の子のまへに立ち得るやう、常に祈りつつ目を覺しをれ』
37 イエス晝は宮にて敎へ、夜は出でてオリブといふ山に宿りたまふ。
38 民はみな御敎を聽かんとて、朝󠄃とく宮にゆき、御許に集れり。
166㌻
第22章
1 さて過󠄃越といふ除酵祭、近󠄃づけり。
2 祭司長・學者らイエスを殺さんとし、その手段いかにと求む、民を懼れたればなり。
3 時にサタン、十二の一人なるイスカリオテと稱ふるユダに入る。
4 ユダ乃ち祭司長・宮守頭どもに徃きて、イエスを如何にして付さんと議りたれば、
5 彼ら喜びて銀を與へんと約す。
6 ユダ諾ひて群衆の居らぬ時にイエスを付さんと好き機をうかがふ。
7 過󠄃越の羔羊を屠るべき除酵祭の日、來りたれば、
8 イエス、ペテロとヨハネとを遣󠄃さんとして言ひたまふ『徃きて我らの食󠄃せん爲に過󠄃越の備をなせ』
9 彼ら言ふ『何處に備ふることを望󠄇み給ふか』
10 イエス言ひたまふ『視よ、都に入らば、水をいれたる瓶を持つ人なんぢらに遇󠄃ふべし、之に從ひゆき、その入る所󠄃の家にいりて、〘122㌻〙
11 家の主人に「師なんぢに言ふ、われ弟子らと共に過󠄃越の食󠄃をなすべき座敷は何處なるか」と言へ。
12 さらば調へたる大なる二階座敷を見すべし。其處に備へよ』
13 かれら出で徃きて、イエスの言ひ給ひし如くなるを見て過󠄃越の設備をなせり。
14 時いたりてイエス席に著きたまひ、使徒たちも共に著く。
15 斯て彼らに言ひ給ふ『われ苦難の前󠄃に、なんぢらと共にこの過󠄃越の食󠄃をなすことを望󠄇みに望󠄇みたり。
16 われ汝らに吿ぐ、神の國にて過󠄃越の成就するまでは我復これを食󠄃せざるべし』
17 かくて酒杯を受け、かつ謝して言ひ給ふ『これを取りて互に分󠄃ち飮め。
167㌻
18 われ汝らに吿ぐ、神の國の來るまでは、われ今よりのち葡萄の果より成るものを飮まじ』
19 またパンを取り謝してさき、弟子たちに與へて言ひ給ふ『これは汝らの爲に與ふる我が體なり。我が記念として之を行へ』
20 夕餐󠄃ののち酒杯をも然して言ひ給ふ『この酒杯は汝らの爲に流す我が血によりて立つる新しき契約なり。
21 然れど視よ、我を賣る者の手、われと共に食󠄃卓の上にあり、
22 實に人の子は、定められたる如く逝󠄃くなり。然れど之をうる者は禍害󠄅なるかな』
23 弟子たち己らの中にて此の事をなす者は、誰ならんと互に問ひ始む。
24 また彼らの間に己らの中たれか大ならんとの爭論おこりたれば、
25 イエス言ひたまふ『異邦人の王は、その民を宰どり、また民を支配する者は、恩人と稱へらる。
26 然れど汝らは然あらざれ、汝等のうち大なる者は若き者のごとく、頭たる者は事ふる者の如くなれ。
27 食󠄃事の席に著く者と事ふる者とは、何れか大なる。食󠄃事の席に著く者ならずや、然れど我は汝らの中にて事ふる者のごとし。
28 汝らは我が甞試のうちに絕えず我とともに居りし者なれば、
29 わが父󠄃の我に任じ給へるごとく、我も亦なんぢらに國を任ず。
30 これ汝らの我が國にて我が食󠄃卓に飮食󠄃し、かつ座位に坐してイスラエルの十二の族を審かん爲なり。
31 シモン、シモン、視よ、サタン汝らを麥のごとく篩はんとて請󠄃ひ得たり。
32 然れど我なんぢの爲にその信仰の失せぬやうに祈りたり、なんぢ立ち歸りてのち兄弟たちを堅うせよ』
33 シモン言ふ『主よ、我は汝とともに獄にまでも、死にまでも徃かんと覺悟せり』
34 イエス言ひ給ふ『ペテロよ我なんぢに吿ぐ、今日なんぢ三度われを知らずと否むまでは鷄鳴かざるべし』
〘123㌻〙
168㌻
35 斯て弟子たちに言ひ給ふ『財布・嚢・鞋をも持たせずして汝らを遣󠄃ししとき、缺けたる所󠄃ありしや』彼ら言ふ『無かりき』
36 イエス言ひ給ふ『されど今は財布ある者は之を取れ、嚢ある者も然すべし。また劍なき者は衣を賣りて劍を買へ。
37 われ汝らに吿ぐ「かれは愆人と共に數へられたり」と錄されたるは、我が身に成遂󠄅げらるべし。凡そ我に係はる事は成遂󠄅げらるればなり』
38 弟子たち言ふ『主、見たまへ、茲に劍二振あり』イエス言ひたまふ『足れり』
39 遂󠄅に出でて常のごとく、オリブ山に徃き給へば、弟子たちも從ふ。
40 其處に至りて彼らに言ひたまふ『誘惑に入らぬやうに祈れ』
41 斯て自らは石の投げらるる程かれらより隔てり、跪づきて祈り言ひたまふ、
42 『父󠄃よ、御旨ならば、此の酒杯を我より取り去りたまへ、然れど我が意󠄃にあらずして御意󠄃の成らんことを願ふ』
43 時に天より御使、現れて、イエスに力を添ふ。
44 イエス悲しみ迫󠄃り、いよいよ切に祈り給へば、汗は地上に落つる血の雫の如し。
45 祈を了へ、起󠄃ちて弟子たちの許にきたり、その憂によりて眠れるを見て言ひたまふ、
46 『なんぞ眠るか、起󠄃て誘惑に入らぬやうに祈れ』
47 なほ語りゐ給ふとき、視よ、群衆あらはれ、十二の一人なるユダ先だち來り、イエスに接吻せんとて近󠄃寄りたれば、
48 イエス言ひ給ふ『ユダ、なんぢは接吻をもて人の子を賣るか』
49 御側に居る者ども事の及ばんとするを見て言ふ『主よ、われら劍をもて擊つべきか』
50 その中の一人、大祭司の僕を擊ちて、右の耳を切り落せり。
51 イエス答へて言ひたまふ『之にてゆるせ』而して僕の耳に手をつけて醫し給ふ。
169㌻
52 かくて己に向ひて來れる祭司長・宮守頭・長老らに言ひ給ふ『なんぢら强盜に向ふごとく劍と棒とを持ちて出できたるか。
53 我は日々なんぢらと共に宮に居りしに我が上に手を伸べざりき。然れど今は汝らの時、また暗󠄃黑の權威なり』
54 遂󠄅に人々イエスを捕へて、大祭司の家に曵きゆく。ペテロ遠󠄄く離れて從ふ。
55 人々、中庭のうちに火を焚きて、諸共に坐したれば、ペテロもその中に坐す。
56 或る婢女ペテロの火の光を受けて坐し居るを見、これに目を注ぎて言ふ『この人も彼と偕にゐたり』
57 ペテロ肯はずして言ふ『をんなよ、我は彼を知らず』
58 暫くして他の者ペテロを見て言ふ『なんぢも彼の黨與なり』ペテロ言ふ『人よ、然らず』
59 一時ばかりして又󠄂ほかの男、言ひ張りて言ふ『まさしく此の人も彼とともに在りき、是ガリラヤ人なり』〘124㌻〙
60 ペテロ言ふ『人よ、我なんぢの言ふことを知らず』なほ言ひ終󠄃へぬに頓て鷄鳴きぬ。
61 主、振反りてペテロに目をとめ給ふ。ここにペテロ主の『今日にはとり鳴く前󠄃に、なんぢ三度われを否まん』と言ひ給ひし御言を憶ひいだし、
62 外に出でて甚く泣けり。
63 守る者どもイエスを嘲弄し、之を打ち、
64 その目を蔽ひ問ひて言ふ『預言せよ、汝を擊ちし者は誰なるか』
65 この他なほ多くのことを言ひて、譏れり。
66 夜明になりて民の長老・祭司長・學者ら相集り、イエスをその議會に曵き出して言ふ、
67 『なんぢ若しキリストならば、我らに言へ』イエス言ひ給ふ『われ言ふとも汝ら信ぜじ、
68 又󠄂われ問ふとも汝ら答へじ。
69 然れど人の子は今よりのち神の能力の右に坐せん』
70 皆いふ『されば汝は神の子なるか』答へ給ふ『なんぢらの言ふごとく我はそれなり』
170㌻
71 彼ら言ふ『何ぞなほ他に證據を求めんや。我ら自らその口より聞けり』
第23章
1 民衆みな起󠄃ちて、イエスをピラトの前󠄃に曵きゆき、
2 訴へ出でて言ふ『われら此の人が、わが國の民を惑し、貢をカイザルに納󠄃むるを禁じ、かつ自ら王なるキリストと稱ふるを認󠄃めたり』
3 ピラト、イエスに問ひて言ふ『なんぢはユダヤ人の王なるか』答へて言ひ給ふ『なんぢの言ふが如し』
4 ピラト祭司長らと群衆とに言ふ『われ此の人に愆あるを見ず』
5 彼等ますます言ひ募り『かれはユダヤ全󠄃國に敎をなして民を騷がし、ガリラヤより始めて、此處に至る』と言ふ。
6 ピラト之を聞き、そのガリラヤ人なるかを問ひて、
7 ヘロデの權下の者なるを知り、ヘロデ此の頃エルサレムに居たれば、イエスをその許に送󠄃れり。
8 ヘロデ、イエスを見て甚く喜ぶ。これは彼に就きて聞く所󠄃ありたれば、久しく逢はんことを欲し、何をか徴を行ふを見んと望󠄇み居たる故なり。
9 かくて多くの言をもて問ひたれど、イエス何をも答へ給はず。
10 祭司長・學者ら起󠄃ちて激甚くイエスを訴ふ。
11 ヘロデその兵卒と共にイエスを侮り、かつ嘲弄し、華美なる衣を著せて、ピラトに返󠄄す。
12 ヘロデとピラトと前󠄃には仇たりしが、此の日たがひに親しくなれり。
13 ピラト、祭司長らと司らと民とを呼び集めて言ふ、
14 『汝らこの人を民を惑す者として曵き來れり。視よ、われ汝らの前󠄃にて訊したれど、其の訴ふる所󠄃に就きて、この人に愆あるを見ず。〘125㌻〙
15 ヘロデも亦然り、彼を我らに返󠄄したり。視よ、彼は死に當るべき業を爲さざりき。
16 されば懲しめて之を赦さん』
17 [なし]《[*]》[*異本「かれは祭每に必す一人を赦すべきなり」との句あり。]
18 民衆ともに叫びて言ふ『この人を除け、我らにバラバを赦せ』
171㌻
19 此のバラバは、都に起󠄃りし一揆と殺人との故によりて、獄に入れられたる者なり。
20 ピラトはイエスを赦さんと欲して、再び彼らに吿げたれど、
21 彼ら叫びて『十字架につけよ、十字架につけよ』と言ふ。
22 ピラト三度まで『彼は何の惡事を爲ししか、我その死に當るべき業を見ず、故に懲しめて赦さん』と言ふ。
23 されど人々、大聲をあげ迫󠄃りて、十字架につけんことを求めたれば、遂󠄅にその聲勝󠄃てり。
24 ここにピラトその求の如くすべしと言渡し、
25 その求むるままに、かの一揆と殺人との故によりて獄に入れられたる者を赦し、イエスを付して彼らの心の隨ならしめたり。
26 人々イエスを曵きゆく時、シモンといふクレネ人の田舍より來るを執へ、十字架を負󠄅はせてイエスの後に從はしむ。
27 民の大なる群と、歎き悲しめる女たちの群と之に從ふ。
28 イエス振反りて女たちに言ひ給ふ『エルサレムの娘よ、わが爲に泣くな、ただ己がため、己が子のために泣け。
29 視よ「石婦󠄃、兒產まぬ腹、哺ませぬ乳󠄃は幸福なり」と言ふ日きたらん。
30 その時ひとびと「山に向ひて我らの上に倒れよ、岡に向ひて我らを掩へ」と言ひ出でん。
31 もし靑樹に斯く爲さば、枯樹は如何にせられん』
32 また他に二人の惡人をも、死罪に行はんとてイエスと共に曵きゆく。
33 髑髏といふ處に到りて、イエスを十字架につけ、また惡人の一人をその右、一人をその左に十字架につく。
34 かくてイエス言ひたまふ『父󠄃よ、彼らを赦し給へ、その爲す所󠄃を知らざればなり』彼らイエスの衣を分󠄃ちて䰗取にせり、
172㌻
35 民は立ちて見ゐたり。司たちも嘲りて言ふ『かれは他人を救へり、もし神の選󠄄び給ひしキリストならば、己をも救へかし』
36 兵卒どもも嘲弄しつつ、近󠄃よりて酸き葡萄酒をさし出して言ふ、
37 『なんぢ若しユダヤ人の王ならば、己を救へ』
38 又󠄂イエスの上には『これはユダヤ人の王なり』との罪標あり。
39 十字架に懸けられたる惡人の一人、イエスを譏りて言ふ『なんぢはキリストならずや、己と我らとを救へ』〘126㌻〙
40 他の者これに答へ禁めて言ふ『なんぢ同じく罪に定められながら、神を畏れぬか。
41 我らは爲しし事の報を受くるなれば當然なり。されど此の人は何の不善をも爲さざりき』
42 また言ふ『イエスよ、御國に入り給ふとき、我を憶えたまえ』
43 イエス言ひ給ふ『われ誠に汝に吿ぐ、今日なんぢは我と偕にパラダイスに在るべし』
44 晝の十二時ごろ、日、光をうしなひ、地のうへ徧く暗󠄃くなりて、三時に及び、
45 聖󠄄所󠄃の幕、眞中より裂けたり。
46 イエス大聲に呼はりて言ひたまふ『父󠄃よ、わが靈を御手にゆだぬ』斯く言ひて息絕えたまふ。
47 百卒長この有りし事を見て、神を崇めて言ふ『實にこの人は義人なりき』
48 これを見んとて集りたる群衆も、ありし事どもを見て、みな胸を打ちつつ歸れり。
49 凡てイエスの相識の者およびガリラヤより從ひ來れる女たちも、遙に立ちて此等のことを見たり。
50 議員にして善かつ義なるヨセフといふ人あり。
51 ――この人はかの評議と仕業とに與せざりき――ユダヤの町なるアリマタヤの者にて、神の國を待ちのぞめり。
52 此の人ピラトの許にゆき、イエスの屍體を乞ひ、
53 これを取りおろし、亞麻󠄃布にて包み、巖に鑿りたる未だ人を葬りし事なき墓に納󠄃めたり。
173㌻
54 この日は準備日なり、かつ安息日近󠄃づきぬ。
55 ガリラヤよりイエスと共に來りし女たち後に從ひ、その墓と屍體の納󠄃められたる樣とを見、
56 歸りて香料と香油とを備ふ。
斯て誡命に遵󠄅ひて、安息日を休みたり。
第24章
1 一週󠄃の初の日、朝󠄃まだき、女たち備へたる香料を携へて墓にゆく。
2 然るに石の旣に墓より轉し除けあるを見、
3 內に入りたるに、主イエスの屍體を見ず、
4 これが爲に狼狽へをりしに、視よ、輝ける衣を著たる二人の人その傍らに立てり。
5 女たち懼れて面を地に伏せたれば、その二人の者いふ『なんぞ死にし者どもの中に生ける者を尋󠄃ぬるか。
6 彼は此處に在さず、甦へり給へり。尙ガリラヤに居給へるとき、如何に語り給ひしかを憶ひ出でよ。
7 即ち「人の子は必ず罪ある人の手に付され、十字架につけられ、かつ三日めに甦へるべし」と言ひ給へり』
8 ここに彼らその御言を憶ひ出で、
9 墓より歸りて、凡て此等のことを十一弟子および凡て他の弟子たちに吿ぐ。〘127㌻〙
10 この女たちはマグダラのマリヤ、ヨハンナ及びヤコブの母マリヤなり、而して彼らと共に在りし他の女たちも、之を使徒たちに吿げたり。
11 使徒たちは其の言を妄語と思ひて信ぜず。
12 〔《[*]》ペテロは起󠄃ちて墓に走りゆき、屈みて布のみあるを見、ありし事を怪しみつつ歸れり〕[*異本十二節を缺く。]
13 視よ、この日二人の弟子、エルサレムより三里ばかり隔たりたるエマオといふ村に徃きつつ、
14 凡て有りし事どもを互に語りあふ。
15 語りかつ論じあふ程に、イエス自ら近󠄃づきて共に徃き給ふ。
16 されど彼らの目遮󠄄へられて、イエスたるを認󠄃むること能はず。
174㌻
17 イエス彼らに言ひ給ふ『なんぢら步みつつ互に語りあふ言は何ぞや』かれら悲しげなる狀にて立ち止り、
18 その一人なるクレオパと名づくるもの答へて言ふ『なんぢエルサレムに寓り居て、獨り此の頃かしこに起󠄃りし事どもを知らぬか』
19 イエス言ひ給ふ『如何なる事ぞ』答へて言ふ『ナザレのイエスの事なり、彼は神と凡ての民との前󠄃にて、業にも言にも能力ある預言者なりしに、
20 祭司長ら及び我が司らは、死罪に定めんとて之を付し遂󠄅に十字架につけたり。
21 我らはイスラエルを贖ふべき者は、この人なりと望󠄇みゐたり、然のみならず、此の事の有りしより今日ははや三日めなるが、
22 なほ我等のうちの或女たち、我らを驚かせり、即ち彼ら朝󠄃夙く墓に徃きたるに、
23 屍體を見ずして歸り、かつ御使たち現れて、イエスは活き給ふと吿げたりと言ふ。
24 我らの朋輩の數人もまた墓に徃きて見れば、正しく女たちの言ひし如くにしてイエスを見ざりき』
25 イエス言ひ給ふ『ああ愚にして預言者たちの語りたる凡てのことを信ずるに心鈍き者よ。
26 キリストは必ず此らの苦難を受けて、其の榮光に入るべきならずや』
27 かくてモーセ及び凡ての預言者をはじめ、己に就きて凡ての聖󠄄書に錄したる所󠄃を説き示したまふ。
28 遂󠄅に徃く所󠄃の村に近󠄃づきしに、イエスなほ進󠄃みゆく樣なれば、
29 强ひて止めて言ふ『我らと共に留れ、時夕に及びて、日も早や暮れんとす』乃ち留らんとて入りたまふ。
30 共に食󠄃事の席に著きたまふ時、パンを取りて祝し、擘きて與へ給へば、
31 彼らの目開けてイエスなるを認󠄃む、而してイエス見えずなり給ふ。
32 かれら互に言ふ『途󠄃にて我らと語り、我らに聖󠄄書を説明し給へるとき、我らの心、內に燃えしならずや』
175㌻
33 かくて直ちに立ちエルサレムに歸りて見れば、十一弟子および之と偕なる者あつまり居て言ふ、〘128㌻〙
34 『主は實に甦へりて、シモンに現れ給へり』
35 二人の者もまた途󠄃にて有りし事と、パンを擘き給ふによりてイエスを認󠄃めし事とを述󠄃ぶ。
36 此等のことを語る程に、イエスその中に立ち《[*]》〔『平󠄃安なんぢらに在れ』と言ひ〕給ふ。[*異本この句を缺く。]
37 かれら怖ぢ懼れて、見る所󠄃のものを靈ならんと思ひしに、
38 イエス言ひ給ふ『なんぢら何ぞ心騷ぐか、何ゆゑ心に疑惑おこるか、
39 我が手わが足を見よ、これ我なり。我を撫でて見よ、靈には肉と骨となし、我にはあり、汝らの見るごとし』
40 〔《[*]》斯く言ひて手と足とを示し給ふ〕[*異本四十節を缺く。]
41 かれら歡喜の餘に信ぜずして怪しめる時、イエス言ひたまふ『此處に何か食󠄃物あるか』
42 かれら炙りたる魚一片を捧げたれば、
43 之を取り、その前󠄃にて食󠄃し給へり。
44 また言ひ給ふ『これらの事は、我がなほ汝らと偕に在りし時に語りて、我に就きモーセの律法・預言者および詩篇に錄されたる凡ての事は、必ず遂󠄅げらるべしと言ひし所󠄃なり』
45 ここに聖󠄄書を悟らしめんとて、彼らの心を開きて言ひ給ふ、
46 『かく錄されたり、キリストは苦難を受けて、三日めに死人の中より甦へり、
47 且その名によりて罪の赦を得さする悔改は、エルサレムより始りて、もろもろの國人に宣傳へらるべしと。
48 汝らは此等のことの證人なり。
49 視よ、我は父󠄃の約し給へるものを汝らに贈る。汝ら上より能力を著せらるるまでは都に留れ』
176㌻
50 遂󠄅にイエス彼らをベタニヤに連れゆき、手を擧げて之を祝したまふ。
51 祝する間に、彼らを離れ《[*]》〔天に擧げられ〕給ふ。[*異本この句を缺く。]
52 彼ら[之を拜し]大なる歡喜をもてエルサレムに歸り、
53 常に宮に在りて、神を讃めゐたり。〘129㌻〙
177㌻